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5.睡眠

がうまくとれなくて、最近は夢で必ず誰かを怒鳴りつけている。

毎日のように、母親や部署の部下、元カレなどに腹を立て理不尽に怒鳴りつけている。時々、夢の途中でガバッと起きる。よくあるドラマのように、息があがっていて、夢か…と胸をなでおろしてまた眠りにつく。いい加減ヤバいだろ、と自覚はしているが、だからといってどうしていいかわからない。「寝られない」とググってみても、「ストレスを溜めないよう」に、という稚拙なアドバイスしかくれない。ストレスはどうすれば溜まらないのか、どうすれば自分の中から溶けてなくなるのか、それに対する答えは誰も教えてくれない。自分でも解を導き出せない。

だから今日も薄い意識を保ちながら睡眠を貪り、明日の仕事に影響を与える。


終電過ぎまで仕事をし彼と途中まで深夜タクシーで帰ってきて、シャワーを浴びてベッドに入って、夢で彼に女のことで理不尽に怒鳴りつけて土下座させたところで朝が来たが、ここが夢の中なのか厳しい現実なのか東京という土地の上にいるのかネオン街のキングサイズベッドの上なのか六畳一間の鳥かごの中なのか、はたまた天国なのか地獄なのか三途の川なのか極楽浄土なのか、ということを悩みはじめて30分、ぼやけていた視界にピントがあってくる。

本当は知っている。ここは六畳一間の鳥かごの中だということ。

昔SOPHIAが歌った「ゴキゲン鳥 ~crawler is crazy~」の通り、コンビニのまずい飯を食いながらシャワーとトイレとベッドと職場の往復をする毎日。人生がずっとこの調子だとは思わないけど、ライフスタイルが変わったとして今この瞬間を懐かしく思うときがくるだろうか。

私はそんな未来を描かない。絶対に、描かない。


どんなに疲れていても急いでいても、朝はご飯を食べるようにしている。

ブドウ糖は味方。週末に冷凍保存したこぶし大の塊をレンジで解凍し、のりたまをかけて食べる。5分で終わる朝食。ZIP!の1コーナーの方がよっぽど時間をかけている。無印の体にフィットするソファ、通称「人をダメにするソファ」に体の重みのまま寄りかかっていたら10分ほど経っていて、ZIP!のコーナーが終わりお天気のお姉さんが画面に姿を表した。ゆっくりしすぎた。あわてて化粧ポーチと三面鏡を出しメイクを始める。

この前買ったADDICTIONのリキッドは思ったより使いやすくて気に入っているが、一緒に買ったsnidelのライダースは2回着てタンスの肥やしになった。とてもじゃないけど、重くて着てられない。次の週末メルカリに出しちゃおう、そう思いながら、血色の足りない顔に濃いチークとリップを足していく。


会社に着くと、フロアには新人しかいなかった。

「メール来てたんですけど、今日休みらしいですよ。何かあったんですか?」

と新人に詰め寄られる。いや、昨日遅くまで仕事してたからじゃん?ととぼける。朝礼が終わり、部署のミーティングでは相変わらず口答えしかしない部下たちにうんざりしながら、クライアント来社のミーティングを続けて行い、遅めのメールチェックと返信を済ませて午前中が過ぎていった。

寝不足だと胃腸に影響が出る体質だからなのか、最近は食欲がない。そばでも食べに行きたいが、ほぼ西麻布のオフィスからそば屋に行くには表参道方面に10分くらい歩かないといけないからめんどうになって辞めた。しょうがないから、ミニストップでぶっかけうどんを買い自席で食べる。

炭水化物からの眠たみに身を任せ10分ほど寝て業務午後の部開始。今日はもうミーティングがないから、ゆっくり自分の仕事を片付けよう。そう思った矢先にクライアントから電話が入る。

いつもはチャット上で連絡があるから、電話ということは急ぎの用事。心の中でクソとつぶやき声色を3オクターブくらいあげて電話に出る。さっきのデザインから更に変更を加えたいから今日中になんとかお願いしたい、という。電話を切ってすぐにチャット上に修正点が届き、また心の中でクソとつぶやき、作業に取り掛かる。

ディレクターがデザインまでやる。無理。もう無理無理無理。修正を反映してレイヤーの整理をし始めたところでマウスのカチッという音と共に疲労が自分の中に溜まっていく。

カチッ。カチッ。ぷよぷよでおじゃまぷよが徐々にペースをあげて落ちてくるように、もう自己完結出来ないくらいに疲労が溜まっていく。カチッ。ぷよを右にも左にも動かせず、ただ真っ直ぐ落下させるしかない。カチッ。チャット上で添付データを送ったところでゲームオーバーになった。もう疲労は溜まらない。ゲームは終わったのだ。


dazzlinの重たいパンプスを引きずりながら、喫煙ルームへフラフラと入っていく。普段はタバコは吸わない。でも、イライラしたときと無心になりたいときだけ吸いに行く。

新人の頃好きだった人が吸っていたCASTERを一本取り出す。同じプロジェクトにいた6歳年上の人。既婚者。寡黙な人だったけど、わからないことがあると親身になって教えてくれた。よくわからないいきさつだけど、いつも一緒にランチに行っていた。私が転職し、その人はフリーランスになって会わなくなったが、LINEの交換までこぎつけた。うかれていたのも束の間、LINEの乗っ取りに合って連絡の術がなくなってしまった。

今では、CASTERを吸うことでしか思い出すこともない。当時付き合っていた彼氏のことは好きだったが、それよりもこの人に対する思いの方が今は勝る。片思いこそ昇華される思いなのだろうか。

Vivienne Westwoodのライターで火をつける。肺いっぱいにCASTERを溜め、息を吐く。溜めて、吐く。溜めては、吐く。

無心になりたいのに、CASTERを吸ってるときくらい嫌なことを考えたくないのに、仕事のことが頭にこびりついてしょうがない。

いつから仕事が楽しくなくなったんだろう。

新人の頃は、仕事が楽しかった。夜遅くまでやろうが、上司に怒られようが、報われる瞬間がたくさんあったように思う。周りの人は協力してくれたし、上司も厳しい人だったけど今思えば正しい教育をしてくれたと思ってる。今、私は当時の上司の年だ。だからこそ、当時の上司がどれだけプレッシャーを抱えていたかや、メンバーに気を遣っていたかがわかる。

今の部署はどうだ。部下には毎日ケチをつけられ、隣の席の女には使えないと言われ、彼は、上司は、放置だ。放置と放任は違う。彼の場合は、放置をしている。今の状態をよしともせずダメ出しをするでもない。

もっと自分がしっかりしなきゃいけないのかな。

でもとにかく余裕がない。これ以上しっかりすると、自分が壊れてしまう気がしてならない。体力も精神も参っている。自覚はしているのに、それすらどうにかする力が出ない。

どうすりゃいいんだ、誰か教えてくれ。


「え、ちょ、大丈夫?どうした?」

という彼の声で意識が戻った。

タバコを指に挟んだまま、うなだれていたらしい。足元を見たら、灰が落ちている。

いえ、最近寝不足みたいで。と拙い言葉で慌ててフォローする。

今日話したいことあったけどまた今度にするから、定時であがんなー。と言われてわかりましたーと返して、会話も早々に自席に戻った。


仕事は腐るほどあるが、今日はいろんなことがどうでもよく思えて、この衝動に身を任せて帰ろうと思った。何、今日デート?なんてマーケティング部の先輩にドヤされながら、秘密ですよなんてテキトーにあしらってオフィスを後にした。

マーケティング部は上下関係がわかりやすくていいな、といつも隣で見ていて思う。年功序列で、男のリーダーに従順な女子の部下達。みんな気が利くし、雑務も快く引き受けてくれる。


定時で帰るなんて、何ヶ月ぶりだろう。いつもなら渋谷にでも寄っていくところだけど、そんな気分にもなれずに南栗橋行に乗った。

今日話したかったこと。多分メンヘラのことだろう。当分休むんだろう。だいたいわかる。LINEで彼に悪態ついておいて、しばらく休むとはいい度胸じゃねえか。こういう女がうらやましくも妬ましくも思う。

その反面、今私が休むわけにはいかないということが浮き彫りにもなる。どうしてこうなったんだろう。喫煙ルームで考えていたことの続きを考えはじめて、考えても仕方ないとわかっていても、考えてしまうのは人間の性。私の性。

デザイナーしてたときは楽しかったのだろうか。うまく思い出せない。いいことも悪いこともあった。ディレクターになってからはどうだ。ディレクターになってからは、あからさまに楽しいことが減った。褒められる瞬間はたくさんあったし、社内で表彰されたこともあったし、年収も上がったのに。

違う、そうじゃなくて、彼と、関係を、持ってからだ。

彼が上司なのかなんなのかよくわからなくなった。ワガママを言いたいような、でも言えない立場でいる自分に混乱しているのだ。どうしたらいいんだろう。後にも前にも引けない。ずっとこのままなのかな。

電車の揺れが睡魔を呼び、気がついたら東京を飛び出し埼玉の草加駅まで来ていた。

(続)