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1.私

は、見ている。

土曜、朝8時過ぎのマックで、対峙している彼の左手を眺めている。左手薬指のJustin Davisのスタッズの指輪。今日はしていないようだ。

「どうして指輪してないんですか?」

と、とぼけられるほど肝の座った女ではない。だから黙って見ているしか出来ないし、昨夜のいつ外したのかやどういう心情で外したのか、はたまた事情があって外してホテルに置いてきてしまったのか、など答えの出ないことを、ハッシュドポテトの油で唇を汚しながら考えている。


「4℃にしたら、王道すぎるって買い直しさせられてJustin Davis買ったんだよね。」

と、まだ彼との関係がただの上司と部下だった頃、結婚指輪変わっててかっこいいですねと世間話をしていたときに彼から聞いた。

私はこういう気の強い女が苦手だ。女の傲慢さが滲み出るような、いい年してワガママを他人に押し付ける女はどうかしてると思う。逆にそういう、感情だけで動ける女は心から羨ましい。あれこれ考えず、感情を他人に押し付けられるのは女としては最強の武器だ。ちやほやされるのも仕事、計画的に愛想をふりまくことも仕事、表面的に女を消費しながらでないとろくに仕事を貰えない、似非キャリアウーマンにはとても真似できるワザではない。


いつもは朝、そそくさと家へ帰っていく彼が、今日は珍しく朝ごはんどこかで食べようと言ってきた。ネオンの消えたホテル街を抜け、ゴミの悪臭で溢れかえった土曜朝の飲み屋街を抜け、駅前に出たところで、よさそうな店の選択肢がないからマックに入る。

「今日はなんで朝ごはん一緒に食べようと思ったんですか?」

と聞けない。私は彼を詮索しない。詮索してはならない。これ以上、知りたくない情報を耳にすることが怖い。

私のことを知ったら、死ぬほど憎む人がいる。その事実だけでも首を吊れそうな状況で、でもそれでも、彼に求められる以上、私の脳みそは意志を放棄して、彼の要求に答える。それが何なのか、突き動かす衝動とは何なのか、何度考えてもわからな

全ては幻の類なのかもしれない。今日暇?で魔法にかかり、そろそろ行くね、という言葉で魔法は解ける。エッグマックマフィンを食べ終え早々に、彼は呪文を唱え、魔法は解けた。ネオン街は、テレビを消したあとのようにしんとした。


電車で、1Kの誰もいない部屋に帰る。魔法はとっくに解けてしまった。

私は、いつまで都合のいい女でいるんだろう。仕事でも、仕事以外でも、一方通行の一時的な愛をもらって何が楽しいんだろう。何度も何度も何度も、家に戻ったときに自分と約束する。これで最後にしようと。何度も目論む。何度も企む。けど。明日、LINEが来れば昨日の自分を裏切る。何度も何度も裏切る。

ベッドの上で、何度も何度もこれが最後だよ、と言い聞かせるのに、裏切る。


つら。何かのスイッチを押したように、涙が止まらなくなる。何が悲しいのか、何がさみしいのか、何がつらいのか。1つも答えにたどり着けない。ああ、わたしはキャリアウーマンじゃないからか。理論的な考えを放棄し、女を消費して生きてきたから、わからないのか。


涙は枯れ、気づいたら化粧も落とさず夕方まで寝ていた。乾いた顔をしかめて、重い体を起こしシャワーを浴びて支度をした。その足で、新宿へ繰り出した。

(続)