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20.休職

を伝えてから、私は躁状態を加速させていた。

人と会いたくて仕方がなかった。マーケティング部の新人、同期入社の情シスのリーダー、大学時代の男友達。ありとあらゆる人と会う約束を入れた。彼以外。


マーケティング部の新人は、思い描いたようなオーバーリアクションをし、でも思ったより元気そうでよかったですと付け加えた。錦糸町でホストをしているという彼氏のしょうもないダメっぷりを披露し、社内の誰と誰が付き合って、誰と誰が別れただの、相変わらず社内のお局候補として頼もしさを炸裂させた。

情シスのリーダーは、何度か他の人を交えてしか飲んだことがなかったけど、勢いで連絡したらいいよと言ってその日の夜に飲みに行った。淡々と無表情のまま今後の会社の行く末を語り出し、ずっと焼酎か日本酒を飲んでいるというのに、顔にも態度にも出さない。生身の人間だろうかと疑いたくなる。時々、君は優しすぎるから傷つくし傷つきやすいから優しい、などと意味がわかりそうでわからない言葉を並べては八海山をロックで飲み続けていた。もちろん何事もなく解散した。


大学時代の男友達は、定期的にご飯に行っている仲だったがここ半年はお互い忙しくまったく連絡を取っていなかった。

大学時代は、お互い仕事に対する夢をよく語った。30までに起業してやるんだ、なんて軽々しく語る仲だったが、そいつは同級生と結婚し小さい制作会社のNo.2に上り詰め、私は長年付き合った彼氏と別れ出世街道から転げ落ちた。なにかある度そいつを呼び出しては話を聞いてもらい、愚痴ってみては会社や社会の歪みをシャレに変える。そんな仲だ。

北千住で待ち合わせをして、洒落たワインと牛肉のバーに入った。客が私たちしかいなかった。一番安いワインと、今日のおすすめメニュー5品を頼んだ。

こいつはいつ会っても、雰囲気も立ちふるまいも何もかもが変わらなかった。大学のときからそうだ。知り合った当時の写真と今の本人を見比べてみても、何も変わっていない。999.9のラウンド型の眼鏡、STUDIOUSのカバン、無印かUNIQLOのモノトーンの服。平坦な感情の起伏。それが私を安心させる。それに、こいつは、一定の評価でしか私を見ないし、私を安心させ過不足なく自分自身の承認欲求を満たしてくれる。


「会社どうしたん?」

と4種のハーブのサラダを頬張りながら聞く。

「でもさ、私っていつもそうじゃん?うつっぽいときと調子いいときを繰り返す感じ?就活から入社までとか。」

「でも結構いつも調子よさそうにしてると思ってたけど、実はうつっぽいとき隠そうとするでしょ。ほら、お前って何でも抱えようとするし。」

彼氏以上にわかっているのだ。私がこいつを信頼しているところは、私をしっかり者ではなくて欠陥のあるナイーブなモノとして捉えているところだ。必死でいい子ぶる私を見透かしている男は、多分こいつくらいじゃないだろうか。

「あのさ、じゃあ抱え込みたくないから言うんだけど、私、上司と不倫してるよ。」

飲んでいたワインを吹き出しそうになりながら、薄く笑って「マジ?」と返す。

マジです、と言うと、「それって始まりはどんな感じなの?」「社内で噂になったりしないの?」とただの興味本位な質問をしてくるから全部真面目に答えてあげた。ついでにメンヘラのことも話した。「メンヘラとやってる率は80%超ってとこだろうな」なんてバカみたいな話で盛り上がっていたら、久しぶりに楽しかった。「休みの間さあ、小説でも書きなよおもしろいから。」という一撃必殺なツッコミで大爆笑して、お開きにした。

こういう話をしても、怒ったり叱ったり説教したりしない。仮に既婚の女友達にこんな話をしたら、発狂されて公開処刑されるかもしれないし二度と会ってくれないかもしれない。

その半面、私たちは人の人生に介入しない間柄だし、もちろん恋愛感情は1mmも湧かなかった。世界に2人きりになっても、絶対にセックスをしないし生きてることに意味なんてねぇよななんて笑いあって死んでいくんだろうと思う。それくらい、無味無臭の間柄なのだ。


北千住の駅を、AULA AILAのブーティで軽やかに歩いて行く。実際はまったく軽くない。ラム皮を使っているから足の形にフィットする感じは心地いいが、前に厚みが大してないのにヒールが12cmあって足の裏は歩く度に悲鳴を上げる。それでも。それでもだ。3人にアポを取り、楽しくおしゃべりが出来る状態にあるという事実が、気持ちやブーティでさえも軽くさせるのだ。

その事実だけを縋って、ただ躁状態が加速しているだけということを私は私にひた隠しにする。そして医者にも隠す。毎週、病院の扉を開けるとしんとする。私は普通ですよと、うつでも躁もないですよと、演じている。医者は、そういうのを見破っているんだろうか。いくらでもいるだろう、そういう患者。でも、やめられない。

私は、普通になりたい。休職中思うことは、ただそれだけだった。

(続)