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16.病院

を調べた。Googleマップに心療内科を打ち込み検索結果を確認する。家から自転車で行ける範囲の病院をピックアップしてひとつずつ病院名を検索する。新しい施設に行く前は必ず検索するクセがついているのは、私がIT関連社員のせいか、時代の流れか。出来る限り失敗はしたくない、そういう人生でいたかったのにうまくいかなかった。せめて、心療内科だけは、正しい世界観で私を迎えてほしいと切に願う。

最も口コミ評価がまともそうな病院を選び、電話をかけ明日の10時に予約を入れた。まともそうな受付の電話越しの声が私を安堵させた。久しぶりに人の行為に安堵した。


そして金曜日の10時、自転車で駅の反対側にある病院へ向かった。病院は狭いがながらもきれいな内装で、待合室が区切られていて患者同士顔を合わせなくていいように配慮されていた。それを見て感動した。素晴らしいホスピタリティだ。素晴らしい、素晴らしい。受付のお姉さんに問診票をもらい、5本で100円、のような安いボールペンではなく、重厚感溢れるボールペンを貰い更に感動し少し目頭が熱くなりながら、半個室の待合室で問診票を記入した。

症状にチェックを入れる。寝れない。悲しい。怒りっぽい。死にたい。食欲がない。食欲はないかな?肉は食いたい気分になったりそうじゃなかったりかな。買い物で散財する。節操ない行為に及ぶ。はいか。他にも数値で症状を測る系のテストを3つくらいやらされた。

記入が終わるとすぐに呼ばれた。まるでおしゃれなオフィスのような明るい木目調の内装と淡い緑をアクセントカラーとした室内が私をまた安堵させる。こんにちは、とあいさつをして、うつっぽくて仕事が出来ないこと、ちょっと前はキレまくったこと、高校生のときパニック発作を起こしたことなどをポツリポツリと話していく。

「躁鬱病というものをご存知ですか?」と言われ、あ、ヒステリーを起こす系のあれでしょ?母親が多分そうだわ、と思ったものの、なんとなくわかります、とだけ言葉を濁して伝えた。「今は双極性障害と言います。Ⅰ型とⅡ型があって、あなたの場合は、うーん、Ⅰ型かもしれないけどうつ状態になることが多そうだからⅡ型かな。」と半分独り言のようにつぶやき、メモ用紙に躁と鬱を縦軸、時間を横軸としてグラフを書いた。「Ⅰ型は躁状態が激しいのが特徴で、Ⅱ型は躁状態が一時期起こると、その反動で長いうつ状態が訪れます。」はぁ、と相づちを打ちつつ、先生は続ける。「あなたの場合、高校生の頃からそういう状態があったのではないかと推測出来ますがいかがでしょうか?」と問われ、そう言われるとそんな気もするし、違うと言われれば違う気もする、正直誘導尋問と言われればそんな気もしてならないが、何もしてない時間が苦痛だった、という思いは本物だし、多分そうです、とだけ答えた。「Ⅰ型にはラピッドサイクラーといって、1年に4回以上の躁鬱の症状がある人のことを指します。それにあたるかはまだ断定出来ないけど、その辺の診断も含めて今後行っていきましょう。」と言われて、反射的にはい、とうなずく。「いきなり双極性障害ですとか言われてもわけわかんないと思うので、いったん家に帰って調べて見てください。」と言われ、ロゼレムという薬を処方された。

双極性障害。頭の中でその単語を読み上げるだけでも噛みそうなのに、今すぐにはとても自分の中で消化させられるような病名ではなかった。薬局に向かいながら、過去を振り返っても、調子のいいときはすこぶるよくて、例えば就活のときは、人前で話すことは苦手だったのにひどく饒舌になったりして、でも入社してからはあの面接が嘘だったかのように何もかも不器用にしか出来なかった。優等生から頭の悪い子へレッテルを貼り直され、新人教育では人事に呼び出しされて怒られるくらいダメな新人だった。でも仕事を始めてからはなんやかんや周りの人に恵まれてこともあって、再度優等生キャラを勝ち取った。それは自分の頑張りだと思っていたが、頑張りというよりかそういう障害だったのかと思うと、自分がいたたまれない気持ちになった。

薬局でロゼレムとかいう薬の説明を受けた。体内時計を整える薬だという。強い睡眠薬ではないから、初めて飲むのに適した薬ですよ、と言う。それで寝れるのかな、と半ば疑いながらも支払いを済ませて薬局を出た。

そういえば、上司に報告しなきゃいけなかったのか。と彼の言ってたことをおもむろに思い出し、LINEで「診断出たので今から会えませんか?」と送った。今会うの?今は平日の昼間だぞ。たった今行った自分の行いがよくわからない。よくわからんけど送ってしまったものはしょうがないな。と思って自転車の鍵を外したところですぐに返信が来た。「今神保町にいるんだけど来れる?」「ご飯どっかで食べよう」と言う。あ、いいんだ。ベーグルアンドベーグルで仕事してるから、着いたら教えてーという返信を見て、結局のところ浮かれる。そんな自分は、一体何者なんだ。冷静な自分を踏み潰すかのように舞い上がる自分を制御するには、薬に頼るしかないのかもしれない。現実は、今の自分にとってひどく距離感のある世界なのかもしれない。


神保町のベーグルアンドベーグルの前で待っていると彼が店から出てきた。ちゃんと食べてる?と言い、これ買ったから食べなーと言ってプレーンのベーグルをくれた。アボカド専門店あるらしいから行ってもいい?と言う彼に、それ女子の台詞ですよ、と突っ込んで、そこの店そういえばこの前モヤさまでやってましたよ、と共有しお互い期待値を上げて店に向かった。

平日昼間だからなのか、誰もいなかった。本当にうまい店なのか?少し期待値を下げ、メニューを開く。お、アボカドスパム丼うまそーと彼がそれを注文し、今は特に食べ物に対して意志を働けそうにないので私も同じのを注文した。

そうそうさっき病院行きました、とまるでさっき表参道でモデルの○○が歩いてましたよくらいのノリで切り出した。そうきょくせいしょうがい、っていうやつみたいです。躁鬱病っていうやつ?といって、さっき医者がくれたメモ用紙を見せながら、躁状態がグッと上向きに波があるじゃないですかー、でもそれがあると絶対うつ状態にガッと下がるんですって、とよくわかってないからどうしてもバカっぽい話し方になる。それは、よくわかってないことだけが原因ではなくて、ちょっとバカで無知な自分を許してほしくてそう演じてるだけなのかもしれない。こういうのは女の性として遺伝子に組み込み済みだから、意識するとかしないとは別の問題なのだ。

アボカドスパム丼が来た。おいおい、お前商売なめくさってんのかと言わんばかりの雑なアボカドとスパムの盛り付けに店員をにらみつけてしまったが、メモ用紙に心奪われている彼は、へー、と興味あるのかないのかわからないTHE・ダメな男というようなパーフェクト無関心な相槌を打って、アボカドスパム丼に目線を向けようともせずスプーンを入れて食べ始めた。

今日は軽めの睡眠薬だけ貰って、また1週間後に行きますー、と続けた。彼が、こういうのはさ、と言いながら口の中のアボカドスパム丼を飲み込み、ゆっくり休んで薬飲んで治していくもんで、今すぐ直すとかそういう問題じゃないんだろうね、と言う。そうかもですね、間の抜けた相槌を打ち返す。急に、仕事モードの声色に切り替え、有給何日くらい残ってるか覚えてる?と聞く。会社に入って1日も使った記憶がない。多分40日はあるかなと、伝えると、それ使って休みな、と続けた。その後また働けばいいし、有給使い終わったあとしんどそうならリモートでも仕事していいって社長も言ってたよ、と言う。あー、そうなんですか?と想定外のことに驚く。社長は、何かとよくしてくれる人だった。よく別部署のマネージャーから、社長が働きぶりいいねって言ってたよーなんてことを聞いた。評価してるよ社長は、と彼もよく言っていた。

長らく休んでも、自分の居場所は確保されてる気がしてきた。社長のお墨付きがあれば、なんか、やってけるかもしれない。そう思えて気分が久しぶりに晴れた気がした。じゃあ、先週休んだ分も有給に入れて全部消化してください、と彼に伝えた。アボカドスパム丼は半分残した。


彼は表参道に帰っていった。私はというと、このまま帰ってもベッドに潜ってしょうもないことを考えて症状を悪化させる気がして怖かったから、錦糸町へ繰り出した。今日は、Lily Brownのダッフルコートにmoussyのスキニー、VANSのムートンというそこら辺行く用のコーディネートだったからさすがにキャッチにはひっかからないと思っていたら、地下鉄の出口を出て横断歩道を渡ったあたりで声をかけられて、イヤホンから流れるBAND-MAIDの「FREEZER」のボリュームを上げた。魚屋を過ぎるあたりまでついてこられてそのしつこさに思わず感服しつつ、丸井に入った。特に買うものもなく1階をグルッと一周して店を出た。

帰りの電車の中で、医者のいいつけ通りに、双極性障害について調べた。とりあえずWikipediaを見た。気分障害という括りらしい。躁エピソードというものにあげられている行動は当てはまる気がする。クレカを使いすぎてしまう、寝なくてもいろいろやれちゃう、よく喋れるようになる、とか。でも、人間誰しも調子ってもんがあって、それがどういう線引で「調子」か「障害」と分かれてしまうのか、よくわからなかった。

ただ、遺伝子が原因という項目を見て、ああそういうことかと勘づいた。母親のヒステリーを見ていれば、ピッタリこれに当てはまるじゃん、と感じずにはいられなかった。逃れられない。私は、一生、この人から逃れられない。そう思ったら寒気がした。

あの人の近くにいると自分がどんどんズタズタに引き裂かれるような気がして、勝手に都内の会社に就職を決め、大学4年の12月にはさっさと実家を出て、貯金とバイトで生計を立てていた。正月もろくに帰ってない。それでも、私は母親の血を引いているし双極性障害という遺伝子を受け継いでしまった。意識したくもない現実を無理やり見せられている。

意識が遠くの方に向いていたら、いつの間にか駅に着こうとしていた。バッグと、薬とベーグルの入ったビニール袋を持ち直し、電車を降りた。マンションのオートロックを空けて、エレベーターで6階へ向かう。誰もいない1Kはしんとしていて、外よりも冷えた空気で満たされていた。ムートンを脱いだ足の裏からフローリングの冷たさが侵食していく。部屋に母親がいるような気がして体がブルっと震えた。掃除しきれていない部屋をダメ出しをし、いかに自分がいないと私が生きていけないかを説いてくる。膨らんだ妄想に針を突き刺し割る。バッ。と音を立てて部屋には誰もいなくなった。ベッドに倒れ込んで、動けなくなった。

今日という日は、人生に影響を与える日なったと思う。ベッドに横になって目を閉じた。今日はもう起きていたくない。どうせ起きたらまたどん底の世界が幕を開ける。せめてその時間を減らしたい。そのためだけに、寝る。

久しぶりの外出で疲れたのか、すぐ眠りについた。さっきまでの平常心は、自分の部屋に入った瞬間に一瞬で消え去っていく。

(続)