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13.土曜日

になった、そうだ、今日は彼と会うんだな。そうか、そうか。などとでんぱ組のアップテンポな曲を聴きながら、ソファに座って何も映し出されていないテレビを見つめ、CASTERの煙をぼんやりと追う。

ついにCASTERをカートンで買い溜めするようになった。つい昨日のことだ。真夜中に何を思ったかCASTERを吸いたくて頭がCASTERのことで支配されてこのまま狂ってしまいたい衝動もあるにはあったが理性が勝って、近くのセブンイレブンにUNIQLOのスウェットのまま駆け込んだ。韓国人の店員に向かって流暢な日本語でカートンを頼んでいる自分がバカらしくて消えてなくなりたかった。買ったら買ったで吸いたい気持ちも収まった。何がしたいのか、とうとう自分でも自分のことが把握できなくなってかわいそうだなと思った。


まだ食べきれてない唐揚げと抹茶色のゼラチンの塊を少し食べて、支度を始めた。

何を着よう。最近、痩せてしまって貧相な体が余計貧相に見えて仕方がない。153cm45kgを高校生の頃からキープし続けていたけど、最近は忙しかったし食欲も落ちてたから43kgくらいをウロウロしている。普通は、アラサーなら体重が落ちなくて泣きたくなるお年頃なのに、それがないことは同年代の女の嫉妬の対象になりえるだろうか。

COCO DEALのスモーキーピンクのアンゴラニットと、snidelのグレンチェックのタイトスカートを着て全身鏡の前に立つ。デコルテの開いたニットから骨ばった骨格がよくわかる。少し厚手のニットだからまだ薄い体を隠せてる。相変わらず脚はガリガリで、筋肉などまったくついていない。脚を組むクセが抜けなくて、若干左右対称でない。自分の体がズタボロで、このまま年老いて、生きていけるのかとたまに心配になるが、その頃にはとっくに肉体を捨てて、脳みそだけを世界に残して生きていくんだろうと思っている。それか、介護ロボットによって死んだように生きられる。そんな未来を生きていくしか、私には道はない。いつも通りデート用の顔面を作り上げ、買ったばかりのLily Brownの13cmヒールの黒のスエードのショートブーツを履いて家を出た。


土曜日の表参道は、相変わらず人々の主張が激しい。お前がハイスペの旦那と結婚して人生勝ち組なのはわかったから、そうひとりひとりの肩を叩いて回るべき状況なのではと勘違いしそうになる。お前らは全員寄生虫だ。旦那がいなけりゃ生きていけない人生だ。それを自覚させることは、世の中としても都合のいいことなのではないか。ここまでくると私は聖人だ。マザー・テレサもひれ伏す慈悲深さに少し泣きそうになる。

バカなことを考えていると後ろから彼がおつーと声をかけてきた。お疲れ様です、と返すと、元気ー?と問いかける。なんでちょっとテンション高めなのか、詮索しようとして辞めた。だいたいわかってるし、考えるまでもなくそれが私の今日の役目だからだ。

ここから裏行ったところのハンバーガーがめちゃくちゃ美味しかったんだよね、と言い、足早に表参道の裏路地を歩いていった。ランチと言っていたから、てっきりイタリアンかなにかかと思ったらハンバーガーなんだ、となんとなく思いながらオープンテラスの、チェーン店ではないハンバーガーショップに入った。

メニューの肉肉しいパテが食欲をそそった。熟成肉の一件から、肉に対する考えがシビアになったというか、肉に対する執着が増したというか。エヴァ破で、アスカが「生き物は生き物食べて、生きてんのよ。せっかくの命は、全部漏れなく食べ尽くしなさいよ!」と言った意味が、レイ寄りの食欲しか持ち合わせていなかった自分に刺さって仕方がない。この前狂ったように揚げた唐揚げといい、少し本能が目覚めた瞬間なのかもしれない。

彼はアボカドバーガーを、私はデミグラスソースのハンバーガーを頼んだ。アボカドなんて女子みたいですね、なんて思ってもないことを言って笑ってみせたけど、当たり障りのない世間話を、呼吸をするように口にする自分をどこかで軽蔑している。相手は楽しそうに話してくれるけど、本当のところはつまらない話しか出来ない女だと思っているのかもしれない。少なからず私は、そういう女がいると腹の中でつまらない女というハッシュタグを付けて記憶に保存する。

元気そうでよかったよ、と微笑みながら、いろいろ至らないところたくさんあってごめんね、と謝ってきた。まじさーしっかりしてよマネージャーさんよー、とは言わず、いえこちらこそご迷惑おかけして本当にごめんなさい、と半分本音を練り込んで誤った。確かにあのあとクライアントに謝りにいったりしたんだろうな、と思うとつらかった。

来週からまた出てこれそう?と聞かれ、ああまだ私は会社員だったのかと思い出しながら、また仕切り直して頑張ります、と伝えた。よかった、と彼は微笑んだ。

ハンバーガーが来て、食べてみたら本当においしかった。肉!ってかんじがたまらなかった。欲が満たされる感じがします、と口を濡らした肉汁を舌で舐めながら言ったら、なにそれエロくない?と返されて別の欲がうずいた。

来週会社に行ったところでどうせ何も変わらないということは、全私が満場一致で可決した決定的な事実で、結局そんな場所でサバイブしなくてはいけないのだ。その事実を淡々と受け入れるしかないと思っている私のことを、彼はどう思っているんだろうか。部下として、女として、何を期待しているのだろうか。

このあとどこ行く?と言われて、全く思い浮かばずうーんうーん、と唸っていたら、お台場行かない?と言われて全然その根拠がわからないんですけど、なんて返して笑いあっているうちになんとなくお台場に向かう感じになった。

乗り換えで歩きまくっていて足が痛くなった。ダイバーシティのABC-MARTで赤のCONVERSEのハイカットを買い、履き替えた。そこから下らない話をしつつ海沿いに向かって歩いて、ビールを買って、飲みながら海辺を歩いた。お台場は、ファミリーから友達同士、カップルまでたくさんの集団がひしめき合っていた。夕日が眩しくなると、彼がレイバンのサングラスをかけた。なんて似合わないんだろう、と思ったけど口には出さなかった。ちょっと貸してくださーいなんて言いながらかけてみたりしてじゃれながら夕日に包まれた。

本当は聞きたいことが山ほどあった、ような気がする多分。あんなに疑問で溢れかえっていたのに、彼を目の前にすると、思考が止まる。メンヘラとはデキてるんですか、セックスしたんですか、結婚してから奥さん以外と何人セックスしたんですか、奥さんとはどれくらいしてないんですか、部下を食った感想は。ただただ聞けない事実だけが脳内で燃えないゴミと化している。

そろそろ帰ろっか、と言われて魔法は解けた。今日は、もう、帰る。その事実をゆっくり受け入れる。もう18時だった。もう?まだ、の間違いなのかもしれない。彼は私の想像を遥かに裏切り続ける。来週から会社かー、と口に出すと、また頑張っていこーと返される。頑張る。それしか道がない。彼の前では意志がなくなる。頑張ろう、遠くのゆりかもめの電車をぼんやり見つめながら、「頑張ろう」という言葉が体をゆらゆらと虚しく流れていく。

(続)