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6.いつの間に

と、寝ぼけ眼を埼玉の街並みに向けながら思った。

定時で上がって、下りの半蔵門線に乗って、あらぬことを考えてるうちに眠り込んでしまった。そして草加駅に着いた。もう20時を過ぎていた。めんどくせぇ。反射的に頭の中で悪態をつく。ゆっくり寝たいならベッドの中で眠ってくれよと自分に失望するものの、初めて踏み入れる土地に少し高揚感を覚え、お腹空いたし駅前にガストがあるっぽいから降りよう、と思い立ち、少し回復した体力と引き換えに見知らぬ土地で夕食を食べることにした。


ファミリーとサラリーマンが入り交ざる謎の客層のガスト草加駅西口店で、チーズインハンバーグとライスを頼み、イヤホンを耳に入れ直す。

外に出る時、絶対にイヤホンを耳に詰める。外の音を聞いていると、雑踏に自分の思考回路を勝手にいじられるような感覚を覚えて、たまらなくなる。イヤホンを忘れようものなら家に帰るし、いつイヤホンが壊れるかわからないから常に予備のイヤホンをバッグに忍ばせているし、どんなに短時間の移動でも充電は持っていく。

最近はでんぱ組がお気に入りで、テンションを狂わせてから仕事に向かうのがお決まりのパターンだ。「Future Diver」「ナゾカラ」「でんでんぱっしょん」が特に最高。朝の気合い入れの儀式は、でんぱ組と共にある。


注文してから、アルバム「WORLD WIDE DEMPA」をランダムにせず聴き始め「Sabotage」に差し掛かったところでチーズインハンバーグが来た。

おいしそう、と思ったけど食べたら普通、わざわざレストランと呼ばれる建物に入って食べるまでもなく、まずくもうまくもない味に軽く憤りを感じたところで、多分肉であろう肉を食らうことで多少の元気をチャージ出来るのであればコスパよしとするのが大人なんだろうと自分に言い聞かせる。

私は聞き分けがよすぎる。

言い聞かせられたら右に出るものはいない、私はなんでもかんでも納得しようとする。

世の中、納得しなくてもいいことが9割9分あるというのに、私ときたら、仕事も彼も部下の戯言も女の愚痴も体内に充満させるように言い聞かせる。そして、それらを他人のせいにしきれない。頭の中では何度も悪態を付き、お前ら死ねよと吐き捨て、部下は全員何回も地獄へ突き落としたのに、頭の外の、他人に認識されている自分は、自己評価が低くて、全てを自分の責任だと思い込み、全部を自分で抱え込もうとする。

自覚はなくはない。でも、じゃあどうしろというのかを誰も教えてくれない。「寝れない」とGoogleに聞いても「ストレスと溜めないように」という答えしかくれないように、周りの人間も、Googleと同じで具体的で特効性のある答えをくれない。


「ナゾカラ」が流れる。

ー考えたって答えスラスラ出ないから

納得のいかないことは抱えきれないほど持っている。その元凶は、たったひとつに集約されていると私は知っている。

どうして彼と関係を持ったんだろう。

無意識にその時のことを思い出そうとするけど、時間が過ぎるほど記憶も感情も曖昧になっていく。あのときの言い訳すらもう、よく覚えていない。

彼と関係を持った今から半年ほど前、私は彼氏と同棲していた。

新卒の時に付き合い始めた彼氏とはもう5年近く一緒にいて、彼氏という肩書を飛び越えて家族と化していた。だから、男と暮らしている感じもなく、私にとって地元の家族は人生を縛り付ける象徴だったから、彼のことも同じような目で見るようになっていた。付き合って3年ほどでキスもセックスもしなくなった。

ディレクターになってからは、仕事のことで頭がいっぱいで家事の分担もルール通りにいかなくなり、休日も一緒に何かすることもなくなった。もう疲れて寝たいのに、喧嘩腰でいかに私がしっかりしてないかを理詰めて話してくる彼にうんざりしていた。

ときどき結婚の話をされた。でも、毎日私はうんざりしているし、何をモチベーションに結婚すればいいのか、そもそもなぜ今結婚の話をしてくるのかよくわからなかった。結婚しても仕事は辞めないで、家事も家に入れるお金も半分だよ、などと続けて話されても、じゃあなんのために結婚するの、とちゃぶ台をひっくり返したい気持ちになった。

結婚とはただの書類上と両親の精神衛生を保つための儀式。楽しいことなどひとつもない。セックスレスになっても他の人とセックスしたら慰謝料を払わなきゃいけない。子供を産むのは私だし、育てるのも9割私だ。相手の両親親戚に私のことをとやかく言われ子供の教育方針を巡って言い争う。旦那は自分のママの味方。私の味方など誰もいない。孤独だ。結婚は孤独だ。

一瞬でそこまで被害妄想が広がる私にとって、彼との結婚を1mmも描けなかった。反射的に、私結婚しないよ、と続けた。彼氏は絶句した。


彼とは、「彼氏とのケンタイキ」の中で関係を持った。

当然と言えば当然の成り行きか。ディレクターになってから、何かとマネージャーである彼と一緒にクライアント先に行ったり、つらいこともいくらか乗り越え、仕事のことをたくさん話した。

クライアント先に行った帰りに飲みに行く、それを毎週のように繰り返しているうちに、徐々にプライベートの話をするようになった。彼は奥さんと2人で住んでいる。10年近く一緒にいるから何にも思わないし会話もほとんどない、という。子供も、本当は長男だから跡継ぎが欲しいけど諦めている、なんて話も酔っ払ったときに言っていた。

結婚って、まじで何なんだろうと思わずにはいられなかった。相手を縛り付けるだけの結婚をし続けるって、どんな気持ちなんだろう。私には耐えられない。

その日、酒の回りがよかったのか終電を逃しカラオケに行くことになった。1時間くらいハイテンションでお互い歌ったあと、疲れてウトウトしていた。ウトウトしていたら、いきなり後ろから抱きつかれた。酔っ払ってるんですか、と軽くあしらうと、私の後頭部あたりから「違う、好きだよ」と返ってきた。

この辺から自分がどういうつもりでホテルについていったのか、どうやって帰って、どういう気持ちでいたのかがわからない。

まだ同棲していたから、朝帰ったら彼氏が寝ていて、リビングに行く前に風呂場へ行き、着ているもの全部を洗濯機に放り込み回し、シャワーを浴びたことは覚えている。

朝帰りは今日彼氏の担当だった洗濯を早々に済ませることで相殺された。


チーズインハンバーグのハンバーグだけを食べ、ライスを1/3残したところでガストを出た。もう21時を回っていた。草加からの上り電車はガラガラだった。

彼と一線を越えてから、彼氏とのケンカが絶えなくなった。私からしたらつまらないことでも、彼にとってはこの世の終わりくらいの問題だったのか、夜帰宅して疲れ切っているところに毎日のように理詰めされた。もういい加減にしてよ家でも理詰めされて会社でもあれこれ言われてもう最悪、と真夜中にブチ切れて別々の部屋で寝るようになってから、お互いを無視し続けるようになった。

家でも仕事でも張り詰めた空気で包まれ、とうとう私が家を出ていくと切り出した。2週間後には隣の駅の1K借りて住み始めた。

彼氏は、彼の存在に気づいていない。それは幸せなことかもしれない。


無味無臭の1Kの部屋に戻り、湯船にお湯をためている間にジンジャーエールを飲む。チーズインハンバーグの味が濃かった。甘口のジンジャーエールが体に染み込む。

今日はいろいろ考えすぎた。もっと目の前のことを片付けなきゃ、先のことなんてわからないよ。と、私らしくないポジティブで真っ直ぐすぎる言葉で1日を締めくくった。

(続)