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15.バイブ

の音で目が覚めた。はぁ?ふざけんな死ねと思いながら画面を見ると、彼からの電話だった。はい、とぶっきらぼうに言うと、大丈夫?なんかあった?返事ないから倒れたのかと思って救急車呼ぼうが迷ったんだよ、と早口に話し始めた。彼は、焦ると早口になる。私のことで焦るな、何もかも気に食わなくて仕方がなかったけど黙って聞いていた。めんどくせぇ、昨日から何度も頭の中で反響させた言葉がまた響き渡る。

ちょっともうとにかく疲れてるので、大丈夫なんで、心配しないで下さい、とボソボソiPhoneに向かって喋りかけていたら、iPhoneの上の方から、わかったよ、せめて病院行きなね、診断があればゆっくり休めるから、と聞こえてきた。

ゆっくり休む、という言葉はすなわち私を殺す呪文だ。仕事から追放されたら、もう居場所がない。どいつもこいつも本当に節操がない。はい、と言って早々に電話を切った。

電話を切ったあと、ホーム画面を見たらLINEの通知バッチが7と表示されていた。あぁこのことを言ってたのね、と状況を冷静に把握し、何も感じずiPhoneをロックし、もう一度布団に潜った。

その数分後、ブ、ブ、ブとiPhoneが鳴る。クソ。熟成肉の店と同じじゃねえか。メンヘラがわざわざLINEじゃなくてメッセンジャーに連絡を入れ、本当にバカなことにそのメッセンジャーに鍵をかける機能はなくて、この私に丸見えだったのだから、本当に私の周りにはバカばっかりだ。touchIDを解除しLINEを開いたら、「とにかくゆっくりしてほしいんだけど」「病院はちゃんと行きなね」「行ったら結果教えてね」とのことだった。はぁい。あまり興味を持てずに既読スルーして、今度こそ二度寝をした。


寝ても寝ても疲れる。疲れるのは寝てるせいなのだけど、でも疲れを取るには寝るしかない。この無限ループに陥って生活がめちゃくちゃになっている。でもそれを脱出するだけの気力を持ち合わせていない。気付いたら朝で、気付いたら夜で、もう既に生きてるのか死んでるのかよくわからないような境界をウロウロを行き来している。あの時死んでおけば楽になれたのに、と思うけどもう死ねない。私は自分に、死なない呪いをかけた。彼は追放という名の呪文を唱えたけど、私は生きるという呪文を自分にかけたのだ。何があっても、もう、死ねない。

時間感覚が麻痺し始めてから、たまに起きてのりたまご飯と用を足すことだけしてまた寝ることを繰り返していたらもう木曜日になっていて、カーテンの隙間から日がさんさんと降り注いでいた。朝日ではない気がする。時計をみたら13時だった。

LINEはもう来てなかった。会わなきゃ会わないで会いたいともお互い思わないんだろう。心配するのは、それは上司として、あくまで業務上の配慮としての心配なんだろう。

起きて何をしたいわけでもなかった。でもそれがとてつもなく恐ろしかった。高校生の頃から、空白の時間が発狂するくらい嫌いだと認識するようになって、何者にもなれない自分がこわくて、存在が半透明に透けてそのうち消えてなくなるんじゃないかと想像しては一人自分の部屋で取り乱したりした。でも誰にも相談出来ず、自分だけが恐ろしい思いをしている事実が更に恐怖で、それをこじらせた結果、2chに入り浸ったりWebサイトを作って時間を埋めることを覚えた。援交などに走らなかっただけ健全だが、もっと健全な遊びはたくさんあっただろうに、しょうもないものを選んだものだなと思う。とはいえ、そこでWebデザインをいろはを学んだことは事実で、仕事にしていたわけだから、結果オーライか。

することがない。という言葉がじわじわと体に広がって、シミのように自分を染めていく。することが、ない。それを避けなければ死んでしまう。そう思ってCASTERのカートンをあけてCASTERの箱から一本のCASTERを抜き指に挟んで、ライターで火をつけようとしたが、なぜか手が小刻みに震えていた。クソ、と思いながらCASTERとライターをサイドテーブルに置こうと横を向いた。サイドテーブルに開いたまま置いてあったJILLSTUARTの手鏡に映った私の目は血走っていて、眉間にシワを寄せる私はとても27歳の表参道勤務のオフィスレディには見えなかった。

鏡を左で持ってテレビの方向に向かって投げつけた。ガッ、シャン。テレビ台の角にあたって、鏡の部分が粉々になった。利き手じゃないほうで投げつけたくせにきれいに割れたことが腹ただしくて仕方なく、ついでにリモコンもテレビに向かって投げつけた。リモートでしかお互いに意思疎通をしないもの同士が、今こうして奇跡的に出会った。美しい、と思った。リモコンはドンと鈍い音をたてて、テレビの下に転がった。

しばらく転がった鏡とリモコンを眺めていた。もう一度CASTERに火をつけた。もう手は震えていなかった。何も考えたくないから目をつむったのに、ソファに頭をもたれ、目をつむってここ最近の自分を回想していた。仕事の仕方から彼との関係から、何もかも何一つ理解出来なくて、理解に苦しむどころか腹ただしいくらいに辻褄が合わないことだとついに気づいた。

どうなっちゃってんだよ。みじめな自分を制御することが出来なくて、もう私一人ではこの人間をコントロール出来ない。グレた子供を持つ母親はこんな気持ちなんだろうな、と思う。上を向いたまま、静かに泣いていたら、どんどん止まらなくなって、月曜日の朝のように声を出して泣いていた。頭がガンガンする。それでもずっと泣いていた。

耐えられない。助けて欲しい、明日病院に行こう。思考回路がズタズタの頭で導き出した答えだった。

(続)