ない日記/友人と解散してから「次回は挽回しなきゃ」と思う日々

1年間のスペイン留学に行っていた友人と久しぶりに会う。「ひさびさに寿司を食べたい」という友人を連れてくら寿司へ。私がスペインは暑かったか聞くと、彼は日本と同じくらいだと言って笑う。彼は日に焼けた腕でマグロの皿を取る。1年前、彼の腕はこんなに黒かっただろうか、と私はぼんやりそれを見ている。お茶とマグロを交互に口にして、彼はスペインで見た景色や出会った人について熱心に話す。写真を見せられるが、私はそれらがどんな写真だったかを、次の瞬間には忘れている。
「日本人の留学生が、たまたま同じクラスだったんだ。」
どんな人?と私が問うと、彼はいやぁと頭をかいて
「あんなに尊敬できる人に出会ったのは生まれて初めて」
とはにかんだ。それを聞いた瞬間に、私の脳は一瞬で真冬のように底冷えする。
「へぇ」
口の端だけで器用に笑って、私は寿司の写真が並んだタッチパネルを操作する。寿司の写真は、彼に見せられたスペインの写真と同じくらい無意味な記号としてしか私に残らない。
「冒険心に溢れているし、どんな人とでも仲良くなれる。才能があるのにそれを感じさせない無邪気さがある」
うん、と口に微笑みを湛えたまま私は必死でサーモンのメニューのあたりを行ったり来たりする。
「出会えてよかったな」
「そっか、素敵だね」
彼はにっこりと素敵な笑顔を浮かべて私の言葉に同意した。私は「サーモン頼んじゃおっと」とわざとらしく口にしながら、もはや食べたくもないサーモンを注文する。その後も彼は、かつて私と夢について語り合った時と同じ熱を込めて、自分が尊敬する人について語る。私は味のしないサーモンを咀嚼しながら相槌をうつ。

 いつも誰かを尊敬する側で、私が尊敬する人はいつも別な誰かを尊敬している。私はいつだって片想いで、私が誰かから尊敬の念を向けられることは、これまであまり覚えがなかった。こういう思考に一度陥るともうダメで、誰かの一番になれなかった経験をいくつもいくつも思い出して反芻してしまう。私と他の女の子を天秤にかけて、私の方を振ったAくん。3人組で私だけ遊びに誘ってこなかったNちゃんとSちゃん。姉だけを連れて家を出て行ったお母さん。私が一番に据え置いた人は、私のことを一番のところに置いてくれない。嫌な記憶たちを頭から振り払って、私は彼の話を笑顔で聞くに努める。
「そっちはどうだった?1年間」
 彼が投げかけてくれたボールに、私は必死で喰らいつく。どうか私のことを尊敬して、と必死に願いを込めて、私は自分がどれほど壮大な目標を描いているか、今どんなことを頑張っているかを呪文のように唱え続ける。それとは反対に心は萎えていく。言ったそばから後悔する。口から出た瞬間に言葉が腐り落ちていく。すごいね、と相槌を打ってくれる彼に対して、そんなことを言わせたいわけじゃない、と思う。じゃあ何を求めてるのかと考えても分からない。やがてお互いの言葉数が少なくなって行って、重ねられた皿の枚数ばかりが増えていく。終わりの気配を感じて、私の頭はもう次に彼と会うときのことを考えている。次の回でどうにか今回のリカバリーをしないと、と思っている。

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