見出し画像

旅行の代替としてのゲーム

梅雨のせいで旅行にあまり行けていないことがきっかけで再認識したことがある。

1年前に

「旅行」という趣味は偉いのか?

という記事を書いたことがある。そこでは

旅をして素敵な体験をすると自分もその素敵なものに近づいた気がして、つい旅行イコール偉い趣味、そしてそんな体験をした自分は偉いと思いこんでしまうことがありますが、旅行している人自身の価値は特に上昇していない

旅行で本当に人生が変わる人は、たぶん旅行以外でも人生が変えられます。

と書いた上で、旅行はその他の多くの趣味と比べて特別に優れているわけではないと結論づけた。

ここ最近は梅雨のせいで旅行に行けずフラストレーションがたまっているが、それによって実質的な損害を被ったわけではない。

せっかくの休みに旅行に行かず家にこもっていることにより損した気分になることも正直あるが、それはあくまで気分でしかない。

前述の「旅行を趣味とすることで自分が偉くなった気がする」の逆で、休みの日に引きこもっていてつまらないと、そのつまらなさを損として認識したり、自分と同一化して自分がつまらない人間だと思ってしまっているだけだ。

旅行する動機は人それぞれだと思うが、知らないものを見たり知らないことを知って感動を覚えたり知識欲を満たすことが目的なら、旅行の代替になるものはいくらでもある。

私は、旅行の代替として総合力に優れているのはゲームだと考えている。

旅行と比べて世間一般で「無駄で有害」とされがちな趣味「ゲーム」。

趣味としての生産性の低さは旅行と同じくらいなのに、旅行と比較してデメリットが強調されたりなめられたりしがちな、ちょっとかわいそうな趣味だ。

下手したらパチンコや風俗だけが趣味のおじ様にすら鼻で笑われるイメージすらある(※前述の「「旅行」という趣味は偉いのか?」でも述べたように、私はパチンコや風俗をランクの低い趣味とは見なしていない。ここでは、ただ世間一般でなめられがちな趣味の例としてパチンコや風俗をあげただけだ)。

しかし私は、ゲームという趣味の秘めている力を高く評価している。

いや、秘めている力というよりは、旅行との類似点を評価しているという方が近いかもしれない。

一口に旅行が好きといっても、その内容は様々だ。絶景を見るのが好き、知らないところを冒険するのが楽しい、歴史的に価値のある場所をめぐりたい――いろいろあると思う。

それらは、ある程度ゲームで代替できる。

ものすごくあたり前のことをあえて書くが、ゲームには多くの場合、舞台とキャラクターとストーリー、つまり世界が存在する。

最近のゲームは凝っており(←ここすごくジジ臭いいい回しだと思いませんか?)、細部までこだわり抜いて描かれた美しい世界や、バックボーンまでねられた生々しいキャラクター、時には笑え、時には胸糞悪くなり、時には感涙するようなストーリーが用意されている。しかも、本や映画と違って視覚と聴覚をで味わえる上に自分でキャラクターを動かせるのだ。

綿密に作りこまれた世界を自由に動きまわれる、それはつまり、もう擬似旅行といってもいいのではないだろうか。

価格も本当の旅行よりはるかに安いし疲労もない。現実ではありえない奇想天外な世界も作り放題だし、危険を顧みずやりたい放題したり一歩間違えると命の危険があるような場所へも出入りできて気軽にスリルを味わえる。

コスパという意味で趣味として優秀だし、旅行好きが旅行の代替にするには非常に親和性が高い趣味なのだ。

ゲーム好きの方は「ゲームは旅行の代替ではない」というかもしれないが、今回は旅行好きの視点から旅行とゲームの類似点をあげ、ゲームの魅力を語ってみた。

以上が、旅行のできない梅雨にSteam(PCゲームを販売しているプラットフォーム)でサマーセールをやっていたのでゲームを買いあさっていた時に感じたことである。

#旅行 #一人旅 #ゲーム

ご支援頂けますと励みになります!