アンパンマンに見る正義と悪(序章 第3節〜4節)

前の文章はこちら

第3節 アンパンマンはどう生まれたか
 そもそもアンパンマンはどういった作品で、どういった経緯で誕生したのだろうか。アンパンマンというとアニメを思い浮かべる人も多いが、もともとは絵本である。さらに映画化したり、かつては演劇として上映されたこともある。
 ここで、アンパンマンが誕生し、今日知られるアンパンマンに行きつくまでの経緯を整理してみよう。
 一九六〇年代半ばごろ、やなせは文化放送の現代劇場のラジオのシナリオを書いたことがある。ラジオで流した『やさしいライオン』が好評だったため、フレーベル館で絵本として発売されることになった(一九六八年)。やなせが絵本作家として活躍することになったきっかけである。やなせは同年『PHP』にアンパンマンの出る絵本を公開した。当時のアンパンマンは汚れたタイツを着た肥満体形の中年男性であり、不評であった。

「あれはやなせさんの本質ではない もう二度とかかないでください」(『アンパンマン伝説』一一頁)

 アンパンマンはその後今の「パンの頭を持つ妖精」へと姿を変え単行本化された(一九七三年)。不格好で弱く、カニバリズムを想起させるため評論家や編集者からは不評だった。幼稚園から「残酷だ」と苦情が来たこともあった。
 だがやなせは、大人たちから不評だったアンパンマンが子供には受けていることを知るようになる。

「先生アンパンマンという絵本かいてるね うちの坊主はあれが好きでね 毎晩せがむもんだから おれすっかりおぼえちまった」
 なんなんだこれは?
 かすかな戦慄が背筋を走った。(『アンパンマン伝説』一一頁)

「うちの幼稚園では、アンパンマンが大人気ですの」と言って、園長室で紅茶がでてきたり、若い先生たちが「キャー、いっしょに写真をお願いしまーす」とか言うではないか。これはいったいなんなんだ。タレントでもなければ、スターでもない、不流行作家としては、とまどうばかりであった。(『アンパンマン伝説』一〇頁)

 子供たちの間でアンパンマンの人気が上がり続けていることに気づいた出版社は手のひらを返し「やなせ先生、アンパンマンをどんどんかいてください」と依頼するようになった。始めは大人を対象に作家家業を続けていたやなせは、気がつくと児童向け絵本作家になっていた。シリーズを重ねるごとにその人気は上がり続けた。一九七六年には友人であり作曲家のいずみ・たくの提案によりミュージカル化された。ミュージカルは六本木の地下劇場で行われ、当時はまだ大人を対象にしていた。ここでやなせはミュージカルの内容を考えることを通して「どういった物語が受けるのか」を身につけていった。物語にパンチがないことに気づいたやなせは、アンパンマンと敵対する存在「ばいきんまん」を作りだしミュージカルに出した。結果は大成功だった。ばいきんまんの「ハヒフヘホー」という特徴的な笑い声は、ミュージカルで「ガギグゲゴー」「ラリルレロー」と様々なパターンを試した結果採用されたものである。その後もミュージカルを盛り上げるために「知的な二枚目」としてしょくぱんまんを生みだした。しょくぱんまんは映画の『風邪と共に去りぬ』のレッド・バトラーをモチーフにした。ミュージカルが終わってからもカレーパンマンという新キャラクターを生みだし、その後「正義が増えすぎたから」という理由でドキンちゃんという女性の悪役を出した。キャラクターは徐々に増えていき、それに応じて人気も上がり続けた。一九八八年にはアニメ化され、現在も続いている。一九八九年には映画化され、今でも年に一度新作が作られている。一九九六年には高知県にアンパンマンミュージアムが作られ(二〇〇七年には横浜にも完成)、おもちゃ、子供服、ゲームなど多くのグッズにアンパンマンというキャラクターが使われるようになった。
 これが、アンパンマンというキャラクターが世の中に受け入れられ愛されるようなった経緯である。
 だがやなせは「アンパンマンをいつ思いついたかって聞かれても、はっきりしない」(『アンパンマン伝説』六頁)らしい。アンパンマンが誕生した経緯は本人も分かっていないらしいが、私はアンパンマンにはやなせたかしが生きることを通して得た教訓がつまっていると考えている。
 やなせたかしは自伝やエッセイで「正義」について論じることが多いが、それはつまり、正義の味方であるアンパンマンを考察していくことによりやなせの考える正義像が明らかになるということではないだろうか。
 アンパンマンを考察することによりやなせたかしの中の正義像を浮き彫りにすることが、この論文の目的である。

第4節 アニメや映画も考察の対象にして良いのか
 やなせたかしの作品を考察する前に「考察にはどういった資料が使えるのか」を明確にしておく。前述したように、アンパンマンは絵本を元に、アニメ版、映画版が作られている。絵本版を考察に使って良いのは当然だが、果たしてアニメ版と映画版は考察の対象になりうるのだろうか。
 アンパンマンのアニメ版と絵本版の違いについては横田清が『こどもの図書館』vol46 no8の「アンパンマンの子どもたち」の九頁で言及している。

「テレビのアンパンマンと絵本のアンパンマンはちょっと違うみたい」小学校三年生の女の子は、少し照れながら言った。たずねると、バイキンマンのいたずらの質、それにばいきんまんに対するアンパンマンの行動に違いを感じるのだと言う。
 こちらとしても、気になっていたところだった。やなせ先生も気にしているところだ。テレビでは、ばいきんまんが町の人々に悪ふざけをして、アンパンマンにやっつけられるという構図が多い。それは分かりやすく、テレビ向きなのだと思う。絵本ではもう少し違う。

 アニメ版のアンパンマンは、絵本版のアンパンマンに比べ教育的で分かりやすい内容のことが多く、その違いは子どもでも気がつくほどである。これを踏まえた上で、アニメや映画のアンパンマンを考察に使って良いのかについて考えていこう。
 まず、『やさしいライオン』や『チリンのすず』、絵本のアンパンマンシリーズは言うまでもなくやなせ本人の作品である。これらは考察において重要な位置を占める。
アニメ版及び映画版のアンパンマンはどうだろうか? アニメ版の脚本は、やなせ以外の人が書いているので、やなせの作品とは言い難い。だが、やなせはアンパンマンを我が子のように大切にしていて、脚本家の書いたアンパンマンの脚本にはもれなく目を通すし、キャラクター商品も、質の悪いものがでないよう目を光らせている(食器に至っては自宅で使って使い心地まで検証している)。特に映画に顕著だが、やなせではない人が脚本を書いた話でも、自己犠牲などのテーマはきっちりと書かれている。よってこの論文ではアニメ版、映画版のアンパンマンは「必ずしもやなせの考えを含んでいるとは限らないが、やなせの思想に反するものは含まれていないもの」として補助的に考察の対象に加える。ちなみに、アンパンマンたちの歌う歌は多くがやなせの作詞作曲である(映画のテーマソングなどは例外もある)。よって、アンパンマンたちのテーマソングも考察に使って良いと私は考える。

続きはこちら

#アンパンマン

ご支援頂けますと励みになります!