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もうさ、愛にできることなんて君にとっての大丈夫になることしかないのかなって【天気の子 感想】

こんにちは。

新海誠監督・最新作「天気の子」観てきました。
今日まで、この作品についての全ての情報をシャットアウトしてきました。文才あるライターさんや頭の柔らかく記憶力に長けた方の考察を見る前に、今書けるありったけの感想を書き留めておこうと思います。色々まとまってないままに、つらつらと、感じたことを。

※ネタバレありありです

◆ 映像
とにかく雨の表現が美しく「言の葉の庭」を彷彿とさせた。確かな重量をもって地面に打ち付けはずむように跳ね返る水の塊、その一つ一つが生命をもっているように美しく、ずっと目が幸せだった。
また、ビルや電飾などの一見無機質なものを、影と光の効果を使ってリアルだけれどもリアル以に美しく表現してしまうところは、監督さすが……という気持ち。
個人的に感動したのは花火のシーン。花火大会にいくたびに、花火の横を通り抜けるヘリコプターを見ては、あそこから花火を見たらどう目に映るんだろうか、と妄想を膨らませていた。この作品を見てその願いが叶った心持ちだった。普段見る花火は平面に見えるけど、花火の中から見ればまるっこいんだね。当たり前のようで気づけなかった事実。

◆ 未成年vs大人 すなわち 未成年vs世界
新海監督の作品は、思春期前後の未成年が世界や大人を相手に戦うことが多い。社会的地位も金銭的余裕も持ち合わせいない子供にとって、世界や大人を前にした自分たちはあまりにも無力だ。無断で家を出れば失踪届を出されて警察に追われるし、未成年だけでたった1晩宿を見つけるのも難しい。子供にとっては大人=世界そのものだ。帆高が警察に向けた銃口は、帆高が世界にむけた銃口に思えた。
世界という壮大なものを相手に立ち向かう無力(と思われがちな)な少年少女という構図は、弱者からの反撃であり、爽快さを感じた。

◆ 天気のこと
晴れ=いい天気 雨=悪い天気 なんてことはないんだな、と。「明日フリーマーケットをひらくからお客さんが沢山来るように晴れて欲しい」と願う人がいると同時に「明日もし雨が降れば、いつも庭園で雨宿りしてるあの人に会える」と楽しみにしている人も存在する。
どの天気になろうとも、誰かが喜び誰かが悲しむ。晴れていたから出会えた/出会えなかった人、雨だったから出会えた/出会えなかった人……そうやって天候は人の運命の歯車を回す。その運命を人間ひとり、少女1人の力で変えてしまうのはあまりにも責任が重すぎる、残酷な使命だ。
天候なんてとんでもなく壮大なテーマを映像化してヒット(確信)させてしまうなんて……新海監督ハンパない。

◆ かみさま
新海誠監督とRADWIMPSの曲の共通項として「かみさま」の存在を感じる。「かみさま」は静観しているようで時に残酷ないたずらを仕掛ける。それも何も力を持たない少年少女たちに。これからも「かみさま」についてはもっとじっくり考えてみたい。
「君の名は。」でも「天気の子」でも、監督はかみさまの領域を作った。加えて、かみさま(向こう側の世界)と繋がるトリガーを用意している。「君の名は。」では口噛み酒、「天気の子」では廃墟ビルの屋上の鳥居と精霊馬(茄子ときゅうり)と言ったところだろうか。
ちなみに、劇中で1番好きなセリフ
「神様、お願いです。これ以上僕たちに何も足さず、僕たちから何も引かないでください」
……ここ野田さんが考えたのかなってくらい、すごくRADみを感じた。


◆ 年齢
年齢を聞かれた陽菜は、帆高より年上だと嘘をついた。アルバイトをするために歳を偽っていた彼女だが、クビになったあともその嘘を帆高に貫き通す。なぜだろうか。
恐らく、母を亡くし弟と2人だけになった彼女は、弟と2人で生きていく覚悟を決めたのではないだろうか。公的機関を頼れば、弟と一緒にいられる保証はない。また、年齢に嘘をつくことでせいいっぱい大人に近づこうと、自分を奮い立たせて、強くあろうとしたのではないか。
普段「陽菜さん」と呼んでいた帆高が(自分より陽菜の方が年下だと知ったあとに)「陽菜!」と叫んだとき、それを受けた彼女の心もとなさや等身大の幼さや弱さを感じた 。
そして、このシーンの音楽が最高オブ最高。あの合唱を聞きながら、映画館という大きくも小さい箱の中で観ている人たちと一体になったような感覚を覚えた。
それから、陽菜の弟の凪。女性(女の子)心が手に取るようにわかる凪のことを、帆高は「先輩」と呼ぶ。でも、年上だと思っていた陽菜も先輩と呼んで敬う凪も自分より年下なのであった。「自分が一番年上じゃないか…」というセリフには、子供ながらにも守るべきものを守りきれてない不甲斐なさと、強くあろうとする帆高の気持ちが伝わってきた。男の子が大切な人のために強くなるのは新海作品のひとつの通過儀礼というか。いいね。


◆ 世界は最初から狂っている
陽菜と帆高たちは自分たちが狂わせてしまった(と思っている)この世界を正そうとした。彼女/彼らにとっての正しさとは、当初はみんなにとっての正しさで、梅雨が明けたら夏がきて、ましてやこの季節に雪が降るなんてありえなくて、東京湾に寄り添った大都会コンクリートジャングル=東京であって、晴れる時もあれば雨が降るときもあって……
晴れ女の依頼をした冨美さんは「東京は元々海だった」と言う。正そうとした「元」の姿は実はほんの数百年前からの姿で、そもそも、地球の歴史を辿れば、始まりは海しかなかったわけで。
あらゆる物事に、「正解」や「あるべき姿」はない。正しい姿だと思っているそれらは、各々が「そうあって欲しい」と願っている姿なだけなのだ。

みんなが皆、世界を正す必要はなくて、そうあって欲しいと願う姿にちょっとだけ世界を近づけたり、周りの人の幸せを願っていれば、大切な人の大丈夫になれれば、それでいいんじゃないかなって。
それがたとえささやかな願いだとしても、愛にできること、僕たちにできることはまだあるんだ。


◆ 「君の名は。」とのクロスオーバー
瀧くん、めっちゃ好青年になっとる。
追記 : クロスオーバーの時系列については個人的に、カツセマサヒコさんの感想記事がすっきり腑に落ちました。

◆ 余談
「天気の子を見終わって外に出ると快晴」って都市伝説かと思ったらほんとにそうなりました、びっくり。観た人なら分かるかなって思うけど、晴れたことに少し胸が痛い。

◆ 余談2
2回目記事、できました。

以上、人間(ひとま)でした。

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