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心にナイフで刻んでゆく

下書きにそっと残っていた独白です。

今よりずっと切羽詰まった自分がいます。
こんな時もあったんだなぁ、としみじみ記録しておきます。


私は人から「優しい」とよく言われてきた。
とても繊細でひどく傷つきやすかったからだ。
自分が言われて傷つくこと、嫌なことを避けると自然と「そう」なった。
でも、正直しんどかった。
優しい自分を、脆い心を背負ったまま維持するのはしんどかった。
だから、少しずつ心を鍛えて昔より頑丈になった。

今は、悪意のある発言をされて不快になることがあっても、そこまで響かない。
(そもそもそういう発言をしてくる人がほとんどいない)
あとから「ああ、あの時嫌だったんだな」と時間差で思うことはあるけれど。
また、相手の発言が自分の意にそぐわなくても「世の中にはそういう考えもあるんだな」で流してしまえる。
でも、ふと思う。
頑丈になったと言うより、鈍感になっただけなんじゃないだろうか。
そして私は恐怖する。自分の痛みに鈍感だからこそ、人を知らず知らず傷つけてしまうのではないか、と。
自分が言われる分には平気なくせに、人を傷つけてしまうことはとても怖い。
とてもとても怖い。
それは、昔繊細だった頃の自分が
相手の発言で傷ついた時を思い出すからだ。
相手を傷つけると同時に、昔の自分も傷つくのだ。
どうしたら人を傷つけなくて済むかを考える。
たくさん考える。

その人にとっての弱い部分、傷つきやすい部分、脆い部分……「地雷」をいち早く察知する。
それから、自分の意見は押し付けない。
相手を否定しない。
もうこうなってくると天気の話くらいしかできない。
米津さんのアイネクライネじゃないけれど、石ころになるしかないのだろうか。
だからこそ、ちょこっとユーモアを交えて。
ちょこっと、ラフに。
このさじ加減、不器用な私には難しい。
そうやって少しずつ自分を育て直してきた。
そのおかげで、ずっと人から好かれやすくなった。

だけど、今日、たぶん、相手を傷つけてしまった。
相手の地雷を踏んでしまった。
どこかに驕りがあった。
「自分は配慮ができるから人を傷つけない」と。本当に恥ずかしい。
相手のことをもっと時間をかけて知る必要があった。
「この人は○○だからこういう人間だろう、だからこういう風に話しかけよう」と勝手にカテゴライズしていた。
ああ、一人一人、違う人間なのにね。

もっと注意深く、人の心の繊細さを、優しさを、すくいとらなくてはいけなかった。

すぐに謝った。
謝罪の後で、相手は全然気にしてないしむしろ勉強になったと言ってくれた。でもそれは、その人の優しさだと思う。
色んな人がいて、
それぞれ弱さと強さを持っていて。
強く、でも同時に優しいひとになりたい。
間違えたら謝って、次からはもっと慎重に。
心にナイフで1瞬1秒刻むように、
生きていくしかない。
そして同時に、
自分の心に正直になることも大事だ。
鈍らせない、錆びさせない。


以上、人間(ひとま)でした。

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