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「恋人」という契約の必要性

Twitterでこんな質問をいただきました。

以下、自分なりの答えです。

「恋人」になるということは

あなたは私のものです、私もあなたのものです。なのであなたの時間と気持ちの多くを私にください(人によっては触れる権利をも)、もちろんあなたにも差しあげます。それから、他の人に目移りしてはいけませんし、他の人はこの人に手を出さないでくださいね。

というちょっと過激な言い方をあえてさせていただきましたが、そういうことかなと。(例外もありますが)
書面でのやり取りのない契約でありお約束事ですね。

ただし、そういう契約を結んでいるだけにちょっと怖いところもあります。

契約違反(浮気、雑に扱う、放置等)すればお別れに繋がりますし、相手を傷つけることになります。

だけど「恋人」という絆の強さから、契約違反ギリギリ、もしくはアウトなことをしても、許し、許されてしまうこともあるかと思います。

それが「恋人」という関係の拘束力だと思います。好きだから、苦しい関係にあっても離れるのに時間がかかる。
(それでもそばにいる事がその人の幸せなら、関係を継続することも自由だと思います。しかし、個人的には違和感を感じた時点で離れることをおすすめします)

でも、契約があると安心です。 強い絆を手に入れることができます。

沢山デートする権利も、
抱きしめる権利も、
ピンチの時に1番に駆けつける権利も、
泣きそうな夜に1番に声を聞く権利も、
記念日などを一緒にお祝いする権利も、
お互いが持っています。

※上はあくまで例です。お互いがお互いに求めていること/いないことのすり合わせは必要です。

つまるところ「恋人」って

今までは色んな人から少しずつ分けてもらってた優しさや愛情を1人の存在から一身に受ける関係性であり、血の繋がっていない赤の他人同士だとしてもお互いを唯一無二の存在に昇華できる関係性

なんですよね。たぶん。
これって特別なことで、人によってはかなり承認欲求が満たされるんじゃないでしょうか。

ごちゃっと語りましたが、拘束感にしんどさを感じたり、特別感はいらないよってひとには「恋人」という関係性は必要ないんじゃないかなって思います。

なので結論としては

今の関係性にお互いが納得して幸せを感じていれば、その関係性によって他の誰かを傷つけていなければ、「恋人」と言う形にとらわれずともOK

むしろこういう関係って自由であり、清々しい部分もあるな、と感じます。

自分自身も現在、「恋人」と名のつく関係にこだわりはもっていません。
ひとりの人間が他人に渡せる愛の総量を「100」だとすると、今は一人の人から100の愛を貰うより、恋愛という形にとらわれず、10人の大好きな人たちから10ずつ愛を分けてもらえれば、じゅうぶんハッピーです。なんなら私と関わってくれている人たちの愛を全部合わせると余裕で1万ラブ超えてるんじゃないかと。(こんな考え方、普通に驚かれますが。本気です。)

結局、愛のかたちは人それぞれ。

どうでしょうか、答えになっているでしょうか。質問がありましたら些細なことでもお気軽にどうぞ。

あなたのくれた質問のおかげで、自分自身もモヤモヤしていた「恋人」という関係性についてじっくり考えることができました。これからも考え続けます。ありがと〜ございます。

以上、にんげんでした。

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