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ひとはなぜ「悪人」に魅せられるのか 【小説 月と六ペンス】

※『月と六ペンス』ネタバレありです

こんにちは。人間(ひとま)です。

皆さんは、人間的にはダメな人やどうしようもない人に惹かれて、ずるずると交友(恋愛)関係を持ってしまったことがあるだろうか。

重たいケースだといわゆる悪女やDVやモラハラ男などがあるが、そうでなくても、ちょっと「ダメ」な人や、遊んでるようなスレているような、世の中のダークな部分を知っているような人に惹かれたりしたことはないだろうか。

映画や小説などについても言える。
ヒーローよりも悪役に惹かれてしまったり、例えば『ハンニバル』のレクター博士のような、倫理観の欠如したカリスマに魅せられ一種のセクシーさを感じてしまったり。

なぜ人はこのような「悪人」に魅せられ、惹かれてしまうのだろうか。

今回は、サマセット・モームの『月と六ペンス』に登場する、人としては色々ダメダメだけど女性を惹き付け、芸術の高みと精神の解放を目指した画家ストリックランドに焦点をあてながら、その理由を紐解いてみることにする。

なんでだか結構長くなってしまったから、忙しい人はゆるっと流し読みしてね。

【『月と六ペンス』 あらすじ】
作家である主人公は、ストリックランド夫人のパーティーに招かれたことからチャールズ・ストリックランドと知り合う。ストリックランドはイギリスの証券会社で働いていたが、ある日突然家族を残して消えてしまう。
それから5年後、主人公はパリで暮らしていた。そこでストリックランドと再会するが、彼はなんと画家をしながら貧しい暮らしをしていた。それから主人公は何度か彼と会ったが、その後絶縁状態になってしまう。その後、ストリックランドのアトリエを訪れると、彼は重病を患っていた。主人公の知人ストルーヴ(めっちゃ良い奴)が彼を自分の家に引き取ろうとすると、ストルーヴの妻のブランチは強く反対した。夫に説得されてストリックランドの看病をするうちに、ブランチは彼に好意を寄せるようになり、ついには夫(ストルーヴ)を棄ててストリックランドに付き添うが、愛情を受け入れてもらえなかったために服毒自殺してしまう。妻の死を知ったストルーヴは、ストリックランドへの敬意を失うことなく(めっちゃめっちゃ良い奴)、故郷のオランダへと帰って行った。主人公はストリックランドに会って彼を再び批判した。その後主人公が彼と再会することはなかった。
---Wikipediaより引用&こちらで少しいじりました

ちなみにタイトルの『月と六ペンス』は
月=夢、美、狂気
六ペンス=現実、世俗の安っぽさ、日常

を表象しているとも言われている。ほうほう。

あらすじだけでも中々の悪男であることがわかる。
最初の妻を捨て、知人の妻と関係を持ち、その上服毒自殺に追い込んでしまうのだから。(ちなみに一連のことに対して罪悪感をほとんど感じていない)

正直なところ初めのうちは、彼の何がそこまで女性を惹き付けるのか疑問であったが、後半に行くにつれ、ストリックランドには他の者にはない、魅力と言うよりも、なにか魔力のようなものが備わっていることが伝わってきた。

そこで思い至ったのが、「悪い人」に惹かれてしまう理由には

①悪人が発する魔力
②ジャイアン効果
②人間の本能


この3つがかかわってくるのではないだろうか、ということである。

①悪人が発する魔力
ストリックランド系悪男、略してスト男(面倒臭いのでこう分類します、スト女などもいらっしゃいますが便宜上スト男で統一)には、人としての良心が限りなくゼロに近い。つまり、人の意見や心情に左右されないのである。そんなスト男が何か1つの目的を持って ことにあたり高みを目指そうとすれば、一心不乱に猪突猛進・まい進することができる。
本作でもストリックランドは、芸術における真の美という高みを目指し、寝食をおざなりにしてまでもひたすら自分の作品と対峙していた。
何か目的を持って、ひとつの事を成し遂げようとするひたむきな姿は、傍から見ていても美しい。一種のカリスマ性を感じる。だからこそ、傍で寄り添い献身的に尽くそうとする者が現れるのであろう。
人への思いやりがないゆえに自分の目的を見失わない。そして、その目的へのストイックさ(女はとっかえひっかえであったとしても)に人は魔力的に魅了されてしまうのである。

愛などいらん。そんなものにかまける時間はない。愛は弱さだ。おれも男だから、ときどきは女が欲しくなる。だが、欲望さえ満たされれば、ほかのことができるようになる。肉欲に勝てないのが、いまわしくてしょうがない。欲望は魂の枷だ。おれは、すべての欲望から解き放たれる日が待ち遠しい。そうすれば何にも邪魔されず絵に没頭できる。
‐‐‐‐ by ストリックランド

……はい?(cv.杉下右京)

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②ジャイアン効果
かの名作「ドラえもん」に登場するキャラクター、剛田武ことジャイアン。彼は時々いい奴になる。
特に映画の後半でそれが顕著に現れる。のび太や仲間たちを励ましたり、その腕力を遺憾なく発揮して助けたり。そんな時のジャイアンはめちゃくちゃかっこよくて良い奴に映る。もしも、普段から品行方正な出木杉くんが同じことをしたとしても、そこまでの感動は覚えないであろう。そんな、普段は意地悪な人間がふとした時に見せる優しさ・人間らしさによって、普通の人のそれよりも大きな感動を覚えることを「(映画の)ジャイアン効果」と巷では呼ぶらしい。いわゆるギャップ萌えと親戚みたいな感じだろうか。

ストリックランドにも「ジャイアン効果」で読者の心を揺さぶってくるシーンがある。
タヒチにて自身がハンセン病であることを知ったストリックランドは、1人で山にこもるという決断をし、現地の妻・アタと距離置こうとする。そんな彼に対して、アタはこう言い切るのであった。

あんたはあたしの夫であたしはあんたの妻。
どこへ行こうとついていく。

それを聞いたストリックランドはこう反応する。

一瞬、鋼の心を揺さぶられたらしい。
ストリックランドの目に涙が浮かび、
ゆっくり頬を伝った

1行とすこしの描写だが、読者にとっては衝撃だ。“あの” ストリックランドが人間らしい、良心のような部分を覗かせている……!大変貴重なシーンである。

このように普段「悪いやつ」が不意打ちでのぞかせる人間臭さに人は弱いのである。


全く、スト男、ずるい奴。

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③人間の本能
人というものはほとんどの場合、他人に対して大なり小なり影響力を及ぼしたくなる生き物である。だからこそ、もしも、目の前の人間が自分に無関心であったり、自分の言動に一切左右されない人物であることを思い知ると、よりいっそう自分に関心を向けてもらおうと執心してしまう。
その方法は様々で、好かれようと色々と手を尽くし相手の喜びそうなことを言ったり、逆に嫌われてでも注意を向けてもらおうと相手の嫌がりそうなことをしたり……などなど。

ストリックランドも、相手への無関心さゆえに様々な人間から無自覚に関心を向けられることとなる。

以下は、人への興味が過剰なタイプの主人公とストリックランドの対話のシーンだ。

「きみがおれにつっかかる理由はただ一つ。君にどう思われようとも俺が毛ほどにも気にしないからだ。ちがうか?」
かっとなり、自分でも頬が赤くなるのがわかった。
冷たい利己主義に腹を立てる人間もいるのだとわからせてやりたかったが、できなかった。彼の徹底した無関心という鎧を引きはがしたくて仕方なかったが、結局は彼の言葉にも一理あるとわかっていた。
おそらく、わたしたちは無意識に他人に対して影響力を持ちたいと思い、相手が自分の意見をどれくらい重要に思っているか気にする。結果、自分がなんの影響も与えられない人間を憎む。著しくプライドを傷つけられるからだ。

自分の性質も相手の性質もわかった上でそれを指摘してくるストリックランド……主人公、まんまと陥落しているではないか。私も陥落した
スト男×人への興味関心が強い人物=泥沼のパターンである。


教訓:猛獣は遠くから見守ろう。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

ということで、人が悪人に魅せられてしまう理由を紐解いてみました。

私自身は配偶者にするなら断然ストルーヴ(めっちゃめっちゃ良い奴な上に芸術に対する本物の審美眼を備えている)推しですが、主人公のように人に対して好奇心旺盛ゆえにスト男系の人に引き寄せられがちです。
適度な距離感を保っているので今のところ危ない目にはあってませんが、これからも檻の向こうの猛獣の如く遠巻きに見守りたいものです。

もし、現在進行形でこういう人から抜け出したい方は、よかったら《軽やかな生き方のコツの記事》などを参考にしてみてください。

彼/彼女らって、能力に秀でていたり、生き急いでいたり、遠目から見る分には楽しいんですよね…

以上、人間でした。

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