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最近のこと。

仕事を辞めて1週間が経った。本来なら早期退職は不名誉なはずなのに、まわりのひとたちが「退職祝い」をたくさんしてくれて、面白いな、と思いつつますますそのひとたちが好きになった。
先日、3年間非常勤として働いた前々職の福祉施設の非常勤仲間の60代後半のおばちゃんが気にかけてわざわざ電話をしてきてくれた。
「どうせ、今日も飲み歩いてたんでしょ」とぶっきらぼうに言う彼女。完全に行動が読まれていて、このひとには適わないな、と何となく思った、私はその夜も表参道で退職祝い兼テロリスト(誰も傷つけず、社会規範に抗う行為をしていくこと。例えば、夜、裸足でアスファルトの上を歩くなど。とても気持ちがいい。)転職祝いをしてもらっていた。
彼女は今、精神障害のある人たちが住めるグループホームを立ちあげるべく、NPO法人を設立しようとしている。
私が住んでいる県には、精神障害のある人が住めるグループホームがない地域がある。前々から国の方針として「地域移行」と言っている割には、なかなか地域移行が進んでいないのが現状だ。前々職の法人でも、私が在籍していた3年間の間にどれだけのひとが、精神科病院から退院し、グループホームでの新生活を始めることができたか。もしくは、グループホームを卒業し、アパートを借りて新生活を始めることができたひとがどれだけいるだろうか。タイミングを見計らい、次なるステップを促すのは難しく、実行に移せたケースはほんのひと握りだ。他方で、障害者の高齢化も進み、新たに介護問題や終の住処としての課題も出てきている。けれど、これはグループホームという地域の受け皿があるから生じる課題だと思う。精神科病院に入院していても、介護問題や終の住処問題は生じると思うが、精神科病院で一生を終えるのと、地域で一生を終えるのでは、少し意味合いが違うような気がする(もちろん、病院で一生を終えたいひともいると思う)。
「地域でくらしたい」「地域のなかで死にたい」と思っていても、受け皿がなければ当然、病院から出ることはできない。そういうわけで、彼女自らがNPOを立ち上げ、グループホームを作ろうと考えたようだ。
NPO設立構想は、私が前々職に勤務していた1,2年前から知っていたことだが、少しずつ本格的に話が進んでいるようだ。
正直、彼女からその話を聞いた時「かなりチャレンジだなあ」と思った。年齢も70歳近く、精神保健福祉士などの福祉系の資格があるわけではない。十数年前にスーバーの鮮魚売り場のおばちゃんが、たまたま精神障害者支援のフィールドに入った。そんな彼女は、時に激しくメンバー(利用者)や職員とぶつかり、時にやさしく包み込む、まさにメンバー、職員みんなの「肝っ玉母さん」なのだ。
私は別に、現場で資格があるひとが偉いとか、能力があるとか、そんなふうには思わない。たしかに、資格があると「ちゃんと勉強したんだな」とか初対面の時に名刺代わりになって、相手に安心を与えられるとか、そういうメリットはあると思う。けれど、所詮ペーパーテストなので、資格を取って満足してしまうか、そうではないかのほうがかなり大事だと思っている。
そんななかで、彼女は資格がない。彼女自身の人生経験と、母親としての経験と、そして現場経験でまわりのひとたちの信用を積み上げてきた。
私はその経験値が素晴らしいと思うし、尊敬している。私なら、弱っている状態のひとに、これ以上ダメージを与えたくないと思って、思わずやさしい言葉をかけてしまうが、彼女の場合はビシッと厳しい言葉を絶妙なタイミングで発する。ただ厳しく、突き放すのではなく、きちんと相手を思う、愛のある厳しさなのだ。たとえ、自分が嫌われたとしても、相手のことを一番に思っている言葉だ。
彼女も一時期、精神保健福祉士の資格を取ろうか迷っている時があった。私は福祉系大学出身なので、科目履修と実習とまわりの雰囲気に乗って国家試験を受験してしまったところがある。社会人が、働きながら資格取得を目指そうと思うと、通信制大学や専門学校に1~2年通いながら、実習に1ヶ月くらい行き、そして学費と受験関連の費用も含めるとウン十万とかかる。
本当は資格があったほうが仕事はしやすいのかもしれない、けれど、NPOやグループホームの立ち上げに資格が必須なわけではない。
彼女の年齢や時間や金銭的なことを考えた時、資格取得に1~2年かけて、そこからNPO設立では間に合わないと考えたのだとか。
彼女は口々に「やるなら、今が最後だと思うから。あんたみたいに若くないのよ」と言う。
「NPOの申請の仕方も分からないのよ、ハハハ」と笑いながら、彼女の熱量に惹かれるものがある。
何か行動を起こすのに、きっと年齢は関係ないし、「もうこれが最後ね」と言いながら行動を起こしている彼女が眩しい。だって、私がやりたいソーシャルアクションを具体化しつつあるわけだし。
彼女はこれまでに出会ってきたひとたちに頼りながら、少しずつ前進している。
そんなことを思いつつ、いつも長電話になってしまうので「今日も1時間半コースかなあ」なんて思っていたら、その日は珍しく「じゃあ、お楽しみのようだから、そろそろ切るわね」と言って、ぶっきらぼうに電話を切られた。

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