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ヒッピー色に染まり旅を終える(6)

シドニーを出てからは 東海岸を に向かって
一周の旅を始めた地点、ケアンズに戻ることにする。
東海岸は 交通網が発達しているので
自家用車でなくては 見どころまで行けない、ということはない。
街の中心部に 長距離バスターミナルがあり
その周辺には 宿があるし 移動したければ 市内バスや電車を使えばよい。 快適なバス旅で 平穏に 北上していく。

北上していく途中にある ブリスベンの少し手前に バイロンベイがある。

バイロン岬は、オーストラリア本土の最東端にあるので 遮るもののない海からの
いい波で有名。サーファーが集まるスポットでもある。

バイロンベイという街だけは 寄ったほうがいい、という
旅人のアドバイス通りに、 バイロンベイでバスを降りる。

バスを降りて ビーチ側に向かって進んだところにいくつか宿があり
1週間ほど泊まってみるが さすがサーフィンで有名な場所だけあって
出会う人は サーフィンが大好きなんでここにいるんです!という
純粋なサーファーばかりで 
「どこがそんなに特別な町なのだろうか?」と
謎に思いながらすごす。 
波乗りしない私にとっては かなり普通の町だった。
なぜ このバイロンベイがそんなに素敵なんだろう?と 疑問がわき始めてきたころに、
街のメインロードを渡って あっち側(海側、森側でいうと 森側の方
になにやらオモシロイ宿があるんだと 旅人から聞き
そうか、海側じゃなくて 森側か!と
それまで泊まっていた宿を出て 森の奥まったところにある 宿に向かって歩き始める。

歩いていると 何やら向こうの方から
今まで出会った普通の人たちとは 明らかに違う ヒッピー風の服装の人たち、ドレッドの人たち 裸足の人たちが 街の方に買い出しにやってくるのとすれ違う。
初めて目にする 何やら不思議な人種を目にしたとたん
この先の 森の奥には何があるのか・・・・・?
と 興奮気味で先を急ぐ。
町から 徒歩で15分くらい 森の奥に進んだところに
(その奥には もはやだれも住んでいないであろうと思われる 
 かなり森の奥
隠れ家のような かといって 怖い雰囲気ではなく
オモシロいことがギッシリと詰め込まれているような 
ざわ!っとした雰囲気の宿があった。

泊まれる場所は 2人部屋(コテージ風) ドミトリー(普通の建物)
バスの中ティピの中、そして 野外の奥まったところにテントサイト
という ひとつの 小さな町、 コミュニティーくらいの 規模の
宿が存在していた。

新規さんの私は とりあえず 今まで泊まっていたように普通のドミトリーを希望して 部屋に入る。

ドミトリーにはだいたい二段ベットがギッシリ。男女関係なく同じ部屋で寝る。

部屋の中といわず、宿全体のどこかかんかで みんながディジュリデュを吹いている。 まずちょっと 驚く。
(世界最古の楽器と言われる アボリジニの楽器。 
ユーカリの木の内側を 白アリが食いつくすことによって出来上がった空洞に息を吹き込み 音を出す仕組み。 太古は儀式などに使われた)
なんでこんなにみんなディジュリデュをいたるところで 吹いているのか?

なるほど。
広い庭の一角で ディジュリデュを自分の手で作りましょうの
ワークショップがやっていたからだ。
その当時でだいたい8000円くらいだったか、(当時100ドル
裏の倉庫に山積みにされている 切ったまんまのユーカリの木の中から
自分で これ!と思った 木を 一本 選ぶ。
そして 木の表面の ぼさぼさした うろを ざっざと
大きな鉈のような物で 剥ぎ取り すべすべした木地を出す。

自分でディジュリデュを作った後には、フリーで、吹き方を教えてもらえるワークショップも。

すべすべしてきたら、 やすりをかけて より肌触りのよい状態までもっていく。 そこに たとえばカービングをしたり ペイントしたりして
自分だけのオリジナル・ディジュリデュを作るわけだ。

私も 旅の途中に何度かディジュリデュを吹く練習をしたことがあったが
持ち運ぶにはあまりに重く 断念していたところだった。
しかし、この時点で残りはすべてバスだし! 
あともう少しで 帰国だから こんな素敵なお土産ができたら 自分自身の最高の記念になるじゃないか!と。

ワークショップに申し込んで 生まれて初めてのマイ・ディジュリデュ
作ることになった。

大まかな削りは大きな鉈で。
やすりをかけてから、ペイントする。

宿の敷地内は 誰もが裸足で歩いている。
朝起きたら いろんなところで 誰かが ヨガをしている。
昼下がりの暇な時には 誰かが誰かの 髪の毛をドレッドに編み上げたりしている。

宿に長居している人のドレッド人口率高め
自分のディジュリデユには アボリジニの言い伝えにでてくる
世界の始まりに出てくる蛇の絵を描いた。

どこからか ギターを弾く音が聞こえ だれかが歌っている。
ジャグリングの練習をしてる人もいる。
壁画を描いている人もいる。
それぞれが 好き勝手にクリエイティブなことをしている空間だった。

ひとつのコミュニティーみたいなその 宿の敷地内は
誰もが穏やかで 誰もが微笑んで ゆるやかな時間が流れていた。
ここはまさか 話に聞く 桃源郷なんじゃないか?と 思うほど。
生まれて初めての体験することばかりで
激しくカルチャーショックを受けた。

誰もがすぐに友達になった。
友達に誘われて何度か 山の奥の奥まで車に乗って 
パーティーに出かけて行った。

その頃は ゴア・トランスが 盛り上がりをみせていた時期で
このバイロンベイでも パーティーが盛んに開催されていた。

道しるべもなく スマホも持っていないのに
よくあの頃の 旅人は あんな山の奥の奥、全く人がいないような
大自然の奥に パーティー会場を見つけられたものだなと
不思議に思う。 
まさに知る人ぞ知る、シークレット・パーティーだった。

真っ暗な砂利道を ひたすら進んでいくと
誰か数人いる場所で 車を停められて 人数分のチケット代金を払うのだ。
そうすると 手首に バンドを巻いてくれるので
それがあれば、出入り自由というシステム。

その細い道の奥には 広大な牧場が広がっていて
そのエリアだけが 山の中で 木がなく、草が生えた平地になっている。 ギラギラ光る デコレーションの大きなステージの前には
すでに多くの人が 好き勝手に踊っている。
巨大なスピーカーから響く音は 身体全体を内蔵から揺らすほどの迫力。

夜通し 好きなように 踊るのだ。
疲れたら 持ち寄ってきた食べ物を 仲間と食べて のんびりする。
そんな風にして 夜が白み始めて 朝日が昇ってくる。
朝日が昇ってくると 今まで暗闇に沈んでいた 会場の全容が
初めて 色を持って 目の前に現れてくる。
そうして初めて 裸足で地面を踏み鳴らして 踊っていたそのエリアが
牧場で 牛の糞が あちこちに落ちていたことを確認したりもする。
そうか、踊ってる途中に 指の隙間をヌルっとした 軟体物が通り抜けていったのは これだったのね、なんて具合に。

世界に色が戻ってくると
ギラギラ光り輝いていた 人工的な電飾
デコレーションの威力は急速に消滅して
自然の 鮮やかな色合いの中に 戻っていく。

一夜限りのパーティーの場合は そのまま 仲間と一緒に
車になだれ込んで ほぼ爆睡して 帰路につく。

1週間や10日など 長い期間のパーティーの場合は
自分たちのテントに戻って行って 一旦睡眠をとる。
昼頃に起きてきた 一晩 踊りあかした人々は
自炊道具で ご飯を作って食べたり 
出店の出ているパーティーだったら そこで飲食する。
(大きなパーティーの場合は 移動式のシャワー設備も並んでいる)
そうして また日が沈むころには
あの きらびやかな デコレーションに明かりが灯り
スピーカーから 大音量のトランスが流れ始める。
ぼちぼちと集まってきた人たちは その夜も
朝日が昇るまで 踊り続けるのだ。

今この歳になって そんな風に 一晩中踊りあかすなんて
とてもできそうにないけれど・・・・と
遠い目で懐かしく思い出す。

ただの牧草地に 一晩だけ パーティー会場が出現する。
この写真のは小さな規模のもの。
大きいパーティーは もっと手の込んだデコレーションで飾られている。
ディジュリデュを持ち歩く旅は ここから始まる。

バイロンベイの町の中には、自然志向やビーガン用の食品を売る店、
オーガニックの野菜を売る店、アロマや、アユールベーダを扱う店など
ギュギュっと濃縮していて、他のオーストラリアのどこの場所とも違う
独特の雰囲気があった。
その中で私は 自然と繋がることの気持ちよさ 
原始回帰のDNAの喜び
オーガニックの良さ 
市販の薬の不自然さ など たくさんのことを学び
カルチャーショックを受ける毎日だった。
まだその当時 あまり日本に輸入されていなかった思想だったといってもいい。 
今でこそ 普通に人々はオーガニックを求め アロマを使用するけれど その当時はまだ 日本人の私には 斬新な情報として目に映るものばかりだった。

THE LAST RESORT

あの当時 バイロンベイはまさに 「The Last Resort」「最後の楽園」だった。 
人々は 裸足であるき 豊かな笑顔をたたえ 穏やかに生きていた。
私のその後の人生に 大きな影響を与えた地であるのは 間違いない。

風の噂で
現在のバイロンベイは昔とは 全く変わってしまったよ。と聞いた。
現在の様子をググってみると こんな情報も出てきた。

実はバイロンベイは、
オーストラリア随一、物価が高い町である。
良質な波と豊かな自然に恵まれているため、
もともとはサーファーやヒッピーが暮らしていたが、
やがて人々の健康・環境意識が高いこの町に
富裕層たちが移り住んできた。
今ではそんな彼らの嗜好を満たすため、
品質の高いファッションブランドや、
おいしいパンやコーヒーを提供するカフェが
この町にたくさん誕生したというわけだ。

https://www.kansai-airport.or.jp/flyfromkansai/travel/byronbay/

あの時の あのバイロンベイで過ごした時間は
どれだけ探しても どれだけ求めても 
もう決して 手に入れることはできない

私の人生に大きな影響を与えることになった
バイロンベイでの時間を経験することで
この旅が ひときわ 彩を増した気がする。
私の オーストラリア一周の 一人旅は 
そのままケアンズまで戻り 幕を閉ることになる。
数日後には また 普通の大学三年生として
キャンパスを歩いているんだから。 不思議なものだ。

2年を終えて休学を決めた あの時の自分
3年生を始めるために 春風に吹かれながら歩く自分
きっと 全く違う人間に 変わることができたんだろうな
そんな気がする。

(おわり)





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