ピアノを弾く大江千里さん

47歳からの挑戦で子供の頃からの夢を実現させた大江千里さんインタビュー!

私は昔からいわゆる「人生の成功者」から話を聞くのが大好きで、これまで出会った様々な成功者にインタビューをして来ました。私の中での「成功者」の定義は、”大金持ちになった成功者”と言う意味ではなく、「自分の好きなことをしてキラキラ輝いている人、人生を謳歌している人」と言う意味です。しかしインタビューした人の中には自分の好きなことをとことん追求した結果として億万長者になったと言う人も何人もいらっしゃいました。

今後、これまでお話を伺って来た人達のことを少しずつ書いて行こうかと思いますが、今回は第一回目として47歳で全てを捨てて「ジャズピアニストになる」と言う子供の頃からの夢を叶えるためにニューヨークに渡り、見事夢を実現させた大江千里さんにインタビューさせて頂いた時の話をご紹介したいと思います。

話を聞いていて私自身もとても励まされたので、是非多くの人に読んで頂けたら嬉しいです。

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大江千里さんと言えば、1983年にシンガーソングライターとしてデビューして以来、数々のシングルやアルバムを発表すると共に、作詞・作曲・編曲家としても松田聖子や光GENJI、渡辺美里など数々のアーティストに様々な楽曲を提供、プロデュースを手がけたことで有名ですが、自らが俳優やテレビ番組の司会ラジオ番組のパーソナリティとしてメディアに出演したり、エッセイの執筆も行ったりと、幅広い分野で大活躍して来たその多才ぶりでも知られています。今の20代、30代前半の方にはあまりなじみがないかもしれませんが、一世を風靡した、日本を代表するシンガーソングライターだったと言ってもいいと思います。

そんな大江さんですが、昔からの夢だったジャズを学ぶために2008年に、うまく行っていた日本国内での全ての音楽活動を休業し、ニューヨークに行くと言う一大決心をし渡米。4年半かけてジャズの学校に通い、2012年には念願だったジャズピアニストとしてのデビューを果たしています。

日本で既に大きな成功を収めていたのに何故、全てを捨ててまでNYに渡ってゼロからの再スタートを出来たのでしょうか? とっても興味をそそられ、是非直接話を聞いてみたいと思いました。

そして・・・。

お話を聞く機会が訪れたのは、アメリカのとある大ホールで行われた大江さんのジャズコンサートの時。

大江さんに対しては当初はやはり80年代の人気の「シンガーソングライター」と言うイメージを強く持ってましたが、実際に大江さんのジャズコンサートを聴いてみてその考えが180度変わりました。

コンサートでは大江さんが作詞作曲を手がけた「秋唄」のほか、東日本大震災を受け、今も仮設住宅で暮らしている避難民たちを励ますために作った「ピース(Peace)」など11曲を熱演。ご本人が本当に楽しそうに仲間と笑い合いながら演奏しているのが印象的で、本当に「プロのジャズピアニスト」なんだと見ていてこちらまでワクワクして来るような、そんな素敵な演奏でした。もちろん最後には集まった観客ほぼ総立ちで惜しみない拍手が送られていました。

シンガーソングライターから、「ジャズのピアニスト」に華麗に転身した大江さん。しかもシンガーソングライターとして大成功していたのに、全てを捨ててアラフィーの47歳の時、で単身渡米するのはかなりの勇気がいることだったと思います。何故そこまで出来たのか、直接話を聞いてみたくてコンサートの後、大江さんに時間を取って頂きじっくりお話を伺いました。

以下はその時のインタビュー内容です。小さい頃から音楽を目指すことになった経緯、そして47歳で全てを捨てて渡米に至る心境等について話を聞いています。

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