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頭は性器 考えることはとっくの昔にやめたんだ!

小泉純一郎内閣総理大臣誕生の時、ハッキリと"日本の政治ってキモいな〜"と思って、あれは何年だったのって調べたら2001年だった。ボビー先生との出会い、小泉総理、そして9.11。全部2001年だった!そして、"世の中なんだかキモい場所なようだ"というその"構え"は映画『ファイトクラブ』の影響です。なんでこんなにこの頃のことが印象深いのかな、と思いましたが、大学受験が始まるときだったからですね、多分。

宇宙に打ち上げられた猿を思え。

『ファイトクラブ』は完全に私の自我を目覚めさせてしまった感強い作品なんですが、公開は1999年冬。吉祥寺オデオンで小学校の頃の友達と久々に会って観ました。15歳。共通に知ってる俳優が"ブラッド・ピット"だったからという理由だけで観て、私はガンギマってしまい…、の前に大ブームを巻き起こした『新世紀エヴァンゲリオン』が大好きだったので、人生かかってて暗くて謎解きしていく物語に魅力を感じてはいたんでしょうけど、にしたってもう身体中のサイレンが鳴り響いたというか、ウワーッと楳図顔になるというか、もうこれは全て解らねばナラヌ!とエミネムぢゃないけど4回劇場で観た。少ない小遣い叩いて。映画館に一人で行くなんてちょっとした冒険でした。ちなみに一緒に観た心根の優しい動物好きの彼は"よく分かんなかったし、なんか怖かったね…"の一言を発した時点でアタマから切り捨ててしまったよ。自分もバカなくせに生意気だった、本当にごめんなさい、と今でも謝りたい。兎に角、この映画の衝撃と当時の音楽的趣味がくっ付いて、私はすっかりクソガキ気分、学校の勉強をおざなりにしてビデオを観まくったりパンクを聴いたりしていたこの頃に現れた小泉純一郎という人は、ホントにキナくさいというか、連日テレビなどで"永田町の変人""イケメン"などと紹介され、所謂"小泉旋風"てやつなんですけど、"自民党をぶっ壊す!"と威勢の良いことを仰ってましたよね。なんとなく"小難しい政治、なんかしんないけどこの若めな人が総理大臣になったら面白げかも"くらいのムードだなあと当時の私は感じておりました。X-JAPANとエルヴィス・プレスリーが好き、とアピールしていたのもキモかった。そんなんで騒ぐ大衆もバカにしか見えなかった。でもどうやら"大衆というのはそんなもんでいいらしい"と、理解した気になっていました。けれど、まだまだ政治が自分自身の生活にかかってくるという感覚はリアルではありません。何故なら子供だから。私はアウト・オブ・ソサエティー(パティ・スミス"ロックンロール・ニガー"より抜粋)で生きていくから関係ないもん、バカにしていいんだ、と思っていました。

痛みから逃げるな。人生最高の瞬間を味わえ。

『ファイトクラブ』はタイラー・ダーテンをある種の救世主のように映す作品で、そういうピカレスクなエンターテイメントとしても楽しめますが、自分の内部のタイラーを殺し、しっかり現実を見ろ、というメッセージが感じられましたし、同時に、男性社会の愚かさや脆さを皮肉ってもいます。ストレスで不眠症の主人公(エドワード・ノートン♡大好きだよ♡)が悲鳴のように生み出した人格がタイラーです。お前はしっかり病気になってる、もうマジ限界がきているよ、という警鐘。それが1999年で、私は15歳の女の子で、マーラ・シンガー(お人形さん♡ヘレン・ボナム・カーター♡)のような、男性社会をブチ壊す責任を持つのもイヤでした(男同士が血塗れで殴り合うファンタジーは美しくて大好きだし…)。故に、女性として社会に出て行くことになると思うと陰鬱な気分になっていました。だからこそ、ずっとロックやBLがシェルターとして機能しているんですよね。たまに外に出て傷を負っても、このシェルターは頑丈にしていくんで、ヒデー世ですこと、って感じでも私のコアな部分はまだ壊されている気がしません。自己批判は必要ですが、自己否定や自己破壊はあんまり良くないことですね。

俺たちの戦争は魂の戦い 毎日の生活が大恐慌だ。

タイラーは"お前は物質主義の奴隷。男なら自己破壊を…。"と囁きます。小泉純一郎が"自民党をぶっ壊す!"と言った時、タイラーほどのカリスマ性もねえのになんだコイツ、と思いました(現実と虚構の区別…)。何か強烈な違和感を感じたんです。小泉純一郎のあと、首相はコロコロ変わり、その落ち着きの無さへの不安が、安倍晋三をずっと居座り続けさせたことにちょいと一役買っているのではないかしらん?彼は"ぶっ壊す!"みたいなタイプの人では無い。なんだかニコニコしていて、芸能人だの芸人だの気さくに話す庶民的な印象がお茶の間に益々進行中です。てかさー、引退したら映画つくりたいなんて言ってたよ。さっさと作らしたらええやんけ。『アクト・オブ・キリング』並みの主演映画もいいんじゃない?身銭切ってやれよな。

しかしながら、決して頭が良いとは言い難い彼の話し振りを見ると、傀儡なんでないか?と疑ってしまい、が、でも仲良く振舞ったり煽てたりすればお金をくれるし贔屓してくれる彼、まるで砂糖を吹き出す綿飴製造機、それだけで出来上がった空虚で暴力的なムードが支配力を持ってしまったのか…、とか思っていたんですが、どうやらそれだけでも無さそうですね。今日『主戦場』という映画を観てきたんですが、震え上がってしまいました。

邪悪すぎるぞ、現政権。当たり前ですけど、小泉レベルのカリスマすら居ませんね。居るとしたらやっぱり櫻井よし子くらいだろうか。私は安倍晋三には”子供がいない”というところにコンプレックスを持っているような気がしているのですが、(そして『ファイトクラブ』のちょっとした”父親”に対する言及シーンを思い出す。)彼は永遠に孫であり息子なんです。(映画である種どんでん返しのように岸信介が総理大臣になった経緯が出てくるのですが、フワッとしか知らなかったのでヒィーッ、とまた楳図顔になる私)彼が背負っている”血筋”への責任を、日本を明治時代にまで戻すこと、ド金持ちが支配する家父長制へ戻すことで果たそうとしているように思えました。”国民”のことなんか何も考えていないというか、多分イメージが無いんです。こんな人間が10年も総理大臣をやっているのね。最早ポピュリズムってやつも通過してしまっているのではないかな。この映画の監督は私の一つ年上なのですが、”この人たちが同じ机について話し合ってくれることはないだろうな。そっちのほうが面白そうなのに。そして自分の意見がマトモだと思っていて、俺をメッチャ説得しようとしてくるなあ…。”みたいなトーンを平熱に並べようとしたんじゃないかな?その視点がリアルで、恐ろしさが伝わってきた。興味深い映画でした。現在の自国のゲロを見せてくれるドキュメンタリーって、そういえば久しぶりかもしれないな、と思いました。

ファッキン・ガーデニング!!!

決定的に面白い作品や、素晴らしいアーティストはほぼ必ず、社会と鏡合わせになるものを提供している。私たちがそれらに感動するのは、その社会の中で生きているからです。アウト・オブ・ソサエティーは"場所"ではない。心です。いくら素晴らしい政治家が一見完璧な社会を作った、と思えたとしても、絶対に綻びや、見逃されているものは存在し続けます。人間て滅茶苦茶な人数生きていて、しかも全部違う心があるので当たり前です。誰にも認識されていない、と思ったその人の"視点"も必ず存在しますし、"行動"もあります。それに気付き、政治にも社会にも考えを反映しないといけません。そのために選挙があったり議会があったりするはずで、それをいつでも忘れないようにしたいものです。いくら穏やかな気持ちで居ようと努めても、皮肉屋で冷笑的で破壊衝動を誘惑するタイラー・ダーテンは必ず、私のもとに戻ってくるのだから。おー、でっけえイチモツだな、と笑うブラッド・ピットの顔をして。

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