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拝啓、ボビー・ギレスピー先生

"師を見るな。師の見ているものを見よ。"座右の銘ってやつです。確かネ、教科書とか、国語のテスト問題のテキストだとか、そういうので読んだ覚えがあって、後に世阿弥の言葉だということが分かったんですが(ググると内田樹さんの著作で有名になったフレーズぽい)、丁度同じ頃出会ったこの方に対する想いはまさにコレやで!と思って。"身も心もこのようになりたい!"と、今でも焦がれ続けるその姿。嗚呼、僕の好きな先生、ボビー・ギレスピー先生、御歳57歳。

出会い

洋楽ロックファンであった私が"rock'n on"の表紙でボビー先生を発見したのは丁度プライマル・スクリームの7作目『Xtrmntr(エクスターミネーター』リリース時でした、2000年、16、7歳の頃でしょうか。浜田山のツタヤでその前作に当たる『vanishing point』を借りて、それまで"電子音"を嫌って生音のロックやパンクこそ至上である、などという狭い了見(子供ですから)をブチ破られ、お金がないのでインタビューを立ち読み、中古で探して、『エクスターミネーター』を入手。よりキレキレに尖った内容に夢中になり、この人の考えていることが知りたい!と矢張り中古雑誌で"プライマル・スクリーム"と表記があるものは片っ端から集めたものです。ボビー先生はそれまで崇めていたカート・コバーンを始め、インテリ丸出しのトム・ヨーク、太々しいヤンキーリアム・ギャラガー、アートスクールぼっちゃんデーモン・アルバーンetc…(みんな基本的に好きよ!デーモン以外…笑)をスススーッとすり抜けて、ばばーん、と最前に出てきた、といった感じでした。

『政治がアートなもんか。当たり前だろ。』

インタビュー読み読みしながら一番驚いたのは、政治的な発言が兎に角多いことでした。”アーティストのインタビュー”のイメージもここでブチ破られ。特に『エクスターミネーター』の頃は聞き手に煙たがられるくらいのレベルで、共産主義革命の必要性なんかをガンガンに主張し、なんでも父親がブラックパンサー党に傾倒していて幼い頃から実家にはマルコムXの写真が掛かっていたのだ、なんてエピソードもありました。最初は勿論チンプンカンプンでしたが、そういうものなのか…と学校の勉強やら映画やら漫画やらをその視点から見てみると、ナルホドと思うところもあり、"良いものであり、常識である"とされている資本主義、これには限界があるようだナ、と生意気にも考えるに至り、「俺はストゥーシーを着てもパンクロッカーだ」と仰るのを正面から受け止めて、そっかパンクって!そーゆうことかー!!!ってガッチーーン!と来たわけですが、まあ同級生にそんな話シラフではできませんでしたよね…ははは…、でもお陰様でアーティストの政治的発言アレルギーにはかかりませんでしたし、外の社会にも関心を持つようになりました。

当時の彼の政治的発言の数々が嫌厭されていたのは、一番のヒット曲"ROCKS"の頃のジャンキーロックスターのイメージから、随分とアンタ鞍替えしたね、みたいな感じもあったのかなと想像します。アルバムごとに音楽性も変えていくもんだから”流行風見鳥”ってディスられたりもしてた。デロデロに伸びた髪の毛をもうかなり短く刈り込んでましたし(それでもドラッグぜーんぜんやめてまて〜ん、とも言ってたので…、今ならアレっすよね。まあ雑誌しかインタビュー読む機会ほぼ無かった頃ですからね)。でも、彼の中ではアウトサイダー、レベルミュージック、ロックンロール、アート、パンク、ドラッグ、政治と全て一直線に繋がっているのでヘッチャラなんだろうな、かっこいいな!と素直に思えたんです。それに、ロックアイコンの名を欲しいままにするその体躯のキープぶり。私は経年と共に人間がハゲたり太ったりするのに特別ガッカリもしないし、好ましく思うことも多々ありますが(マライアかわいい!)、一貫してほっそい!ながい!しろい!ボビー先生は変わらなかった。近年はファッション・モデルの仕事も立派に(?)勤め上げ(奥様からお仕事を頂いているんでしょうか、此方も長続き、ナチュラルに子育てもちゃんとしていたようです。曰く「彼女はカタギで忙しいから」)、そして女性蔑視的発言とかも皆無ですよ。ちょっと思い当たらないんですよ、そういえば。沢山の女性アーティストとコラボレーションしてますし、これも華奢だからかな?全然いやらしくなくて、何なら女性の方がゴージャスに見えてしまうくらい。プラスチック・オノ・バンドは最高!って言ってる男性ってボビー先生しか知らないね、まあこれは誇張表現ですが。

その音楽と尖った政治的態度が急展開を迎えたのが9.11同時多発テロ事件でした。私が初めてプライマル・スクリームのライブを観たのは2001年のサマーソニック。フニャフニャと出て来た半袖のボビー先生は「新曲やります、”ペンタゴンを爆破せよ”」と仰りました。その1ヶ月後、マジでペンタゴンは爆破されました。"BOMB THE PENTAGON"は''RISE"というタイトルとサビのラインを変更され、他の歌詞はほぼ変わってないかな?事件以前に書いたのだから気にするな、日和ってんじゃねーぞ、という意見も多々あったと記憶してますが(雑誌で読んだだけやけどね)先生は「俺は暴力そのものは大嫌いなんだよ。」「現実がアートを超えたんだ。だからもう退屈なフレーズになった、それだけだ。」と、変更したことに関してはコメントしてました。でもいっぱい考えたでしょうね。私も沢山考えました。”現実がアートを超えたらそれは退屈になる。”ナルホドだなと思いませんか。今の社会状況では、それがもっともっと鼻先に突きつけられている。そんな気がします。

ロックの生き霊

先日のインタビューで、先生は「ロックは今やラテン語みたいな古い言語。」と発言されて、ちょっとした話題なのかな?!なんて(ツイッターでみただけやけどね)思いました。

「ロックは死んだ。」発言で未だに記憶されているのは『KID A』リリース時のトム・ヨーク、これもリリースは2000年なので『エクスターミネーター』と同時期だ。勿論この作品もかっけえなあ、と思いましたが、そんな騒ぐほど方向転換的なことはなくねーか?こーゆー人らやんな??と思いましたし、今でも感想は変わらないッス。それよりヒャッハハハア!!!ブッ殺せー!!!つってミレニアムにカチ込みかけた風な『エクスターミネーター』のが表現としては好みですね。いや好きだよ、『KID A』。良いアルバムよね。
…まあンなこたあ置いといて、んで、「すごく自己憐憫的で、内向的で、それってまさに自分のことだけどさ。ロックは死んだんだ。」とのことで、あのさあ〜これ、この写真、アナログも買って部屋に飾ってるんだけどさ。
この写真が大好きなの。

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・・・とてつもなくいい。こんなに嘆きのポーズが似合う人おるかいな。おらんやろ。あ、紹介せんでいいぞ。

ボビー先生、貴方のことを考えると、言葉よりも像が出現するのです。例えばこのインタビューを読んだ時は、皮膚がただれ落ちた巨大ながしゃどくろに、ビシッとイカした細身のスーツとブーツを纏って、チューしてる絵が視えるようなのです。貴方の唄う愛や懺悔の嵐は全て、家族へでも、恋人へでも、友人へでも、ファンへでもない、ロックンロールに向けてのものですよね。ロックンロールと寝切る、って感じじゃないですか。なんかロックンロールそのものっていうよりは、なんかこう、寝てるって感じなんだよね、ずっと。そして”言語”に喩えているところも、ナルホドなあ、なんて思ったんだ〜。

「矛盾だということは分かっているんだけど、俺はロックンロールを愛しているんだ。偉大で民主的なアート・フォームだよ。今なおロックを演奏するキッズがいることは嬉しいよね。俺は死ぬまでロッカーだよ。」

私は今なおロックを演奏する敬虔なる貴方の生徒として、まだ暫くは生きていそうです。大好き、ボビー先生。大好き、ロックンロール。

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