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なぜnoteを書くのか

なぜnoteを書いているのか。
人それぞれ、いろんな理由があると思う。

私は、大きく分けて2つある。

・整理するため
・残すため

え、そのまますぎない・・・?思ったそこのあなた。私もそう思う。
そうです、ありきたりです。でも大事なこと。

・整理するため

これまで幾度となく「考える」ことが私には必要不可欠だと言うことについて書いてきたけど、実は私、記憶力があまり良くない。
考えたことや道筋を忘れてしまったり、頭に浮かんだ「これだ!」という頭の中を表現できる言葉をすぐに忘れてしまったりする。
そんなときのためにメモを取ったりもしてみるけど、乱雑になってしまうことも少なくないので、整理するためにnoteをかけたら、と思っている。

あと実は、書くことと同じくらい、話すことも大事だと思ってる。
だから良く家で独り言を話しています。即文字起こししてほしいくらい、良いこと思いついてる時あるんだけどなあ。忘れちゃうんだよなあ。

noteに書くことで、自分の自分にしかない考えを整理できるし、なんとなく「見られているかもしれない」という緊張感もスパイスになって、確固たる(たまに揺らぐ)思考をまとめることができると思ってる。

・残すため

実は、こっちの方がメインの目的だったりもする。比重はすこし大きめです。

どこかで書いたと思うけど(ほら、覚えてない)、私は自分が事故や病気で死んでしまった時に一番不安なのは「私の考えていることはどこにいっちゃうの?」ということ。
それは小さい頃からぼんやりとあって、肉体とか、痛いとか、そういうことももちろん心配だけど
「思ってること」や「考えていること」がなくなってしまう、と言うのがすごく怖かった。今もそれは思っていて、それを残したいという気持ちがある。

このnoteは多分側から見たら一貫性はなく、言ってることが前と違う、なんてこともあると思う。
でも、その瞬間に私が考えていたことはこれなんだ、ということを残しておきたい。

大人になってからのちょっとした反骨精神、というところもある。
自分がいなくなった時、「あの子は幸せだったよ」と一言で片付けられるのは嫌だと言う気持ちがずっとある。
いやなんで私の長い年月を一言で片付けられなければいけないのか。
幸せじゃなかった可能性もあるじゃないか、考えてくれ、と思う気持ちもある。

結構かまってちゃんみたいな思想だけど、自分の経験したこと、思ったこと、学んだこと、そう言うのを知ってほしいという気持ちが大きい。
あまり自己主張はしないように生きてきたつもり。だからこそいなくなった後くらい主張させてほしい。
そして私を「知りたい」と思ってほしい。やっぱりかまってちゃんかも。


noteが続くかはわからない、気まぐれだし、ころころ変わる。
けど、この記事を書いている今現在の私は、この2つのためにnoteを書いています。

誰かに影響を与えられるなんて思ってないけど、自己満で書き連ねた言葉が誰かに共感してもらえたり、思考の入り口になったらいいな、という気持ちももちろんある。でもそれは副産物的に捉えてる。

あえてデジタルに、不特定多数の人が見られる場所においておくことに意味があるような気もするし。20年後とかに自分で見たら黒歴史かもしれないけど、その時は苦い顔して画面を閉じればいいと思うよ。

明日の私は、1週間後の私は何を考えてるかなー。
整えて、組み立てて、そうやってここに残していければいいな〜〜〜



ではまた。



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