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「どうでもいい」と思えること

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
前回からとんでもない時間が経ってしまいました。

考えたことを整理して、残しておくために作ったnoteですが
この空白の期間は友人と毎日のように思考を共有していて
なんとなくここに残す必要というか、ここでしか!みたいなことがなく。noteから離れてしまっていました。

でも自分だけの場所に残しておくのもやっぱり必要かも。書きたいかも。と思ったので帰ってきました。ただいま。

最近は専ら仕事して寝て、仕事して寝て、の日々ですが
合間で好きなことをして、好きなものを食べる生活は自由です。
お金はないの、なんとかしないとと思ってるんだけど。

休日には友人と会ったり、1人で散歩にでかけたり。
でもやっぱり最近思うのは、会う友人がとっても限定されてるなということ。

だんだん人間関係は狭くなっていく。
ライフステージが変わるから当たり前なんだけど
ちょっとだけ寂しいと思ったり思わなかったり。
でも会わなくなった人に目を向けるんではなく、今周りにいる人、気軽に会える人に目を向けるべきでは!とおもって。考えて。気づいた。

今一緒にいる人たちは、みんな「どうでもいい」と思える人なのだと。

これ本当に誤解を招く言葉選びなのはわかってるので一応補足すると、「何してもいい」「適当でいい」という意味ではないです。

じゃあなんなんだっていうと。
私が私自身を「どうでもいい」と思える人といいますか。
対外的に「よく思われたい」とか「ちゃんとしなきゃ」と意識している私ですが
そんなのを気にする必要がなく、取り繕っても無駄なので諦めている相手といいますか。伝わるでしょうか。

これって多分「こんなことでがっかりさせない」というラインがわかっていて、多少ぽんこつでも、弱くても、それを知っていてくれるから幻滅させない自信があるんですよね。

自分の弱さなんてどうでもいい、この人は知ってる。
自分のダメさなんてどうでもいい、あの人はわかってる。

そういう風に自分のことを「どうでもいい」と一緒にいて思えることが、今周りにいてくれる人たちの共通点だなって。
そしてその「どうでもいい」がとっても大事なことなんだなって。

例えば親は、「どうでもよくない」です。
「ちゃんとやってるって思わせないと」というのがどうしても働くので、弱いところを見せられない。
逆に長い時間仕事を共にし、退職した後もとっても仲の良い上司がいるんですけど
彼はもう私の弱虫なところも、焦ってしまうところも知っているしそれでいいと言ってくれてるので「どうでもいい」。

「どうでもいい」かどうかは時間の積み重ねではなく、お互いのことを「そういうとこあるよね」と俯瞰でみること。決して一方的ではなく、お互いね。
そしてそこに対して深く考えすぎないこと。そういう積み重ねで抱ける感情なのかも。

いくら自分を開示して知ってもらっても、相手のことをよくみていないと、どう捉えられてるか不安になるし。
そういう意味で、私は今も定期的に会う人たちとは良いコミュニケーションが取れてたのかなって、長い時間かけてそこにも自信が持てるようになってきたと思います。

「どうでもいい」がちょっとでも増えるような関係性を作りたいな〜。と思った今日この頃。
ひとつずつでも、よいコミュニケーションが取れたらいい。

久々に書くのはやっぱりちょっと感覚が掴めないのでかなり乱文になってしまったのだけれど
今日はこの辺で。

ではまた。



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