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人に会うスイッチが必要な人間

どうも、今日恋つづだと興奮してよろけた母に
老いつづ(老いは続くよどこまでも)だねと言ったらムッとされたすうまです

#余計な一言


今回は最近あった出来事について書きます

(試しに「です、ます」ではない書き方でやってみました)



私は、近くの広いスペースでサッカーの個人練をした帰りに、同級生と道ですれ違った

そいつは、学年で1番ちゃんとしていて、愛されていて、気さくなやつで、私ともたまに話したりする関係だ

でもその時は、全然会話が出来なくて、変な別れ方をしてしまった

なぜなら会話が2ラリーだけだったから

今までなにしてた?

サッカー

どこで?

あの広いとこで

そうなんだ

この「そうなんだ」という返答の後、

なにを思ったのか私はじゃあねーとか
バイバーイとか簡単な別れの言葉も言わずに
その場を去ってしまった

これが変な空気を作り出した

別にそいつが素っ気ない態度だったわけでも、
私が話をしたくなかったわけでもない


こんなことになってしまって、もっと会話を
しようとしていたあいつに申し訳ない気持ちでいっぱいだった


だからこうなってしまった原因はなにかを
自分なりに考えた


その結果、

人に会うスイッチが入っていなかった

という結論が出た

つまり、あの時の私は、人に会って話したり、
聴いたりするためのスイッチが切れていた
ということだ


この時まで、自分が会話のためのスイッチを
ON、OFFしていたことに無自覚だったし、

そんなものなくても自分はある程度は会話が
出来るとも思っていた


この存在に気づくことはなかったが、
今思い返すとそのスイッチにつながる経験を
たくさんしてきたように思う


例えば、いつもはベラベラ話すような友人でも
デパートでたまたま会うといつものように話ができなかったり、

反対に学校だと積極的に自分から話しかけられたり


こんな感じでデパートだとスイッチOFFで、
学校だとスイッチONのようにスイッチを変えて生活してきたことをこれまでの経験が証明している

さらに、スイッチがOFFだとろくな会話もできないということも経験が示している

つまり、私の会話スイッチは基本切ってはいけないものだ


このようにスイッチを切ってはいけない
つまり、ずーっとONのままにして、生活が出来れば良いのだが、そう甘くはない

単純にONのままは疲れるのだ

なぜなら、本来は(OFFの状態のときは)
なにも出来ないやつが、ドーピングをして無理やりONの方に持って行っているだけだから

したがって、どうしても精神面の負担は避けては通れない

あまり感じないが、自分の思っている以上は
負担がかかっているのだと思う


しかし、私はONにすることを大変だとは思わ
ない

マラソン選手が、最後まで力を振り絞った後に
疲労を清々しく感じるように

目の前の相手と楽しく話すための頑張りは
つらいものとは思っていない

ただ、スイッチとかは関係なく、自然に人と
話せるようになりたいとは思う


まあ何にせよ、しばらくはこのスイッチと
付き合っていくはずだから、スイッチの場所、
押すタイミング、体力の温存方法を見つけていきたい




今回は、なにかを伝えようとしたわけではなく
思ったことをただ書いただけになりました


改めて、小さいことから考えるのは大事だと思いました


ではまた明日 お元気でー