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中2の思い出って大人になっても消えないし尊い

※こちらのnoteは「noteのcakes」にて2019年4月に投稿されたものです

6月1日(土)
LUNA SEAの30周年ライブに行ってきた。武道館2daysだったのでチケットは早々にソールドアウト。運良くチケットをゲットし2日間行けることになった。

1日目のライブ。1曲目の「LOVELESS」でまず涙腺が緩む。もう何度も聴いているのにこの曲だけは泣けちゃう。なぜならLUNA SEAを知るきっかけになったアルバムに入っているから。めちゃくちゃ聴いた。今も昔もLUNA SEAのライブ1曲目といえばこの曲なのだ。

LUNA SEAとの出会いはCDTVだった。当時は写メを撮ることもネットで調べることも出来なかったのでバンド名も曲名も分からず、メロディーだけが頭のなかに残っていて、数カ月後なんらかのきっかけでLUNA SEAということを知った。そしてその時流れていた曲が「MOTHER」だった事も分かった。

1年間は1人でLUNA SEA好き活動(雑誌を買う、曲を聴く、ビデオを見る、テレビ番組をチェックするなど)をしていたが、中2の終わり頃、キムタクとkinkiの光一が好きだという平松とクラスで前後の席となり、LUNA SEAファンにさせることに成功した。

私はベースのJが好きで、平松はボーカルのRYUICHIが好きだった。「FOOL'S MATE」という雑誌の表紙がLUNA SEAだった時に、平松は、雑誌の中で流し目をするRYUICHIを見て「あーやりたい」と言っていた。衝撃的だった。

平松は「やりたい」を、恋している、性的な目で見ているという意味で使ったのか、なんとなく言ってみただけだったのか、今となっては分からないけれど、好きの度を超えると「やりたい」というものになるんだということを間違いだらけながらも知った。

私の「好き」は今でいう「推し」だったんだろう。でも当時はその様な言葉は生まれておらず、「やりたい」に至っていない私の「好き」もまだまだだなと思った記憶がある。結局「やりたい」の好きではなかったけれど、「やりたい」が最上級だと思っていたので、当時Jの熱愛が発覚した時は「やりたい」のていで無理して泣いた。

中3の時にはファンクラブに入ったこともあり、初めてLUNA SEAのライブに行くことができた。1996年の夏、「STYLE」ツアー、場所は名古屋のレインボーホール(現:日本ガイシホール)。メンバーは母親、私、中2の弟その1、小4の弟その2、平松、弟その1の友達の計6名。LUNA SEAといえば黒服なので、ありったけの黒服をまとって参戦した。コスプレをしているお姉さん達がいかにも古参の格好いいファンという感じで少し憧れた。

平松はLUNA SEAをきっかけにずっと仲が良かった。平松は、高校1年生の夏、バンドマンと恋に落ち、家出してラブホから学校に通いながら2学期の科学のテスト100点取るという偉業を成し遂げるのだけど、恋に溺れた平松と一緒にLUNA SEAや音楽の話をすることはなくなった。

実際のところ私がLUNA SEAに夢中になったのは中2、中3、高1の3年弱だけで、1996年に「STYLE」というアルバムを作ってその後充電期間(ソロに専念)に入ってしまったのだ。若者だった当時は充電期間を待っていられるほど気も長くはなく、他のことに夢中になった。

たった3年間夢中だっただけなのに、今こうしてまた好きでいられるのは中学生の思い出が根強く美しく残っているからなんだろうと思う。そして何よりLUNASEAがずっとバンドを続けていて格好いいから。

1日目と2日目のセットリストは絶妙に違ってて、どっちもすごく良くて、毎回同じライブかと思いきや、驚きやワクワクを与えてくれる。今回も「FACE TO FACE」と言う曲でINORANがパーカッションのポジションになるのを初めて目撃したり、「RAIN」という曲が歌詞を聴くまでまったく何の曲か分からないくらいのアコースティックバージョンになっていたりと、びっくりするシーンが多々あった。

メンバーの仲もファンとの絆もどんどん深まっているような気がしている。30年経っても色々な場面で更新していくのってすごいな。これからもずっと好きでいたい。

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