見出し画像

わかってしまう人たちへ

人はわかりあえない。と言いながらも、わかってしまう人たちもいる。

わかってしまう。

良いような気もする。でも、絶対にその方がいいとも思えない。

(わかった気になっている人も、こちらのカテゴリーに入ります)

長く一緒にいると、通じてくるものがあるのも事実。それでいい気になって、「言わなくともわかるでしょ」「わかってくれるでしょ」といった雰囲気に陥りやすい。

実際に、ワタシたち夫婦でもこのような場面が多く、減ってはいるが、まだあるのが現状。

「わかってもらっていると思ってた」

「何も言わないから、大丈夫なんだと思ってた」

「いやいや、わかるでしょ」

何度言ったことだろう。お互いに。

ある程度はわかる気がする。(食べたいものなどはわかる)

それでも、本当にそうなのかどうなのかはわからない。「多分、こういうことなんだろうな」程度。

確認することを怠り、そのまま続けていくと、すれ違う。同じ方向に向かっていると思い込んでいたら、いつの間にか離れてしまっていった。

「こうだと思ってた」

「前はこうするって言ってたじゃん」

お互いに自分の思いや気持ちをしまい込んで、溜め込んで、我慢して、「喧嘩はしたことがありません。」といった、いかにもいい夫婦のような雰囲気を醸し出していたが、これは”喧嘩しないことがいい夫婦”といった自分自身のただの思い込みにしかすぎず。喧嘩しない=いい夫婦でもなく、仲のいい夫婦がいい夫婦というわけでもない。

気持ちをしまい込んで、溜め込んで、我慢することが夫婦円満の秘訣とでもいうのであれば、夫婦になんてならなくていいとさえ、今では思っている。

実際に、二度目の結婚をした時も同じことを繰り返して学んだこと。何も変わっていなくて、すごく悔しかったことを覚えている。毎日自分に苛立っていた。


これを言ったら嫌われるんじゃないか

本当の意味でのコミュニケーションを取ってこなかったワタシは、そう思いながら自分の思いや考え方を話していた。夫婦のことは、話にくかったので、子育てのことで自分の思いを伝えることから始めた。少しずつ、少しずつ。それでも直接伝えることは苦手で、LINEで気持ちを伝えることにした。直接でなければ、伝えやすかった。(ただし、返信が来るのが怖かった)

その積み重ねで、緊張しながらも面と向かって言うこともできるようになってきた。初めの頃は、言葉を投げて逃げていた。自分の言った言葉が相手にどう思われるのかが怖かった。(投げっぱなしは厄介なので注意)

でも、また向き合い、自分の言ったことに対して、聴いて受け止めることをした。否定されることが怖かった。どう思われるか怖かった。

今では直接言えるようになっている。今でこそ、別に大したことではなかったと言えるが、本当に怖かった。

時には喧嘩をすることもあるけれど、相手の目を見て、丁寧に話を聴き、自分の思いを嘘をつかずに言える。幸運なことに嘘をつくと顔に出るタイプなので、正直にしか言えない(オブラートに包んだり、濁したりすることはできる)。

嘘はつかない。嘘をつくとロクなことがないことをたくさん経験したから(あっ、夢を壊さないための嘘はつきます。ごめんなさい)。自分を隠し通すことが辛くなる。嘘の上塗りは、自分を追い込むことになるのでやめた。


”前よりもうまくやろう”と見栄を張って、無理をしただけで、根本的には何も変わっていなかった。快適には程遠い生活。

そんな生活をするために夫婦になったわけではなかったから。ありきたりだけど、楽しく笑顔あふれる家庭を築きたかったから。同じことを繰り返したくなかったから。

寄り添いながら、支え合いながら、時には自力で立ち上がり、歩みを進めていく夫婦生活。

そのためには、相手を知り、自分を知ってもらわなければならない。


どうするか?と言われれば、コミュニケーションをとっていくしかない。

一方的ではなく、双方向の。一方的なものはコミュニケーションとは言わない。

より良くしていくためには、コミュニケーションは不可欠なものである。


だから、わかってしまう人も、わかった気になっている人も原点に戻らないといけない。コミュニケーションは足りているか?つい疎かにしてしまってはいないか?

わかってしまう人にとっては、いつもそうする必要はないのかもしれない。それでも、定期的に機会を設ける必要はあると思う。

自分だけがわかってしまう場合は、特に注意が必要。相手が置いてけぼりになるから。


昔は、なんでもわかることに憧れた。

けれども、今は相手のことを何もわかっていない自分を楽しく思う。答えがわかることよりも、探索することの楽しさが上回っている。

新たな発見が楽しい。そして、自分が楽しいだけではなく、相手への気づきになることもあり、それがまた楽しく感じる。相手が、自分でも気づかなかった新たな一面に出会えた瞬間に立ちあえる喜び。

いま、本当に楽しくパートナーと過ごせている。

どうやらワタシは、わかってしまう人にはなれなさそうだ。

家族と楽しむために使わせていただきます。日常、非日常を味わうことで、ワタシの記事が作成されます!