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僕らがいるから大丈夫〜Innovation for lifeを理念にかかげ、福祉業界に革新を起こす!株式会社ヒューマンリンク社長”田中 紀雄”さん。

地域連携の新しいカタチ「まちつくミライ」で地域や人とつながる。在宅介護、障がい福祉事業を展開し、常に新たな領域へと開拓し続けるソーシャルベンチャー企業株式会社ヒューマンリンクの田中 紀雄社長のお話をお伺いしました。

田中 紀雄さん プロフィール
出身地:
北海道岩見沢市
経歴および活動:1974年生まれ。札幌学院大学卒。
2010年株式会社ヒューマンリンクを設立。在宅介護、障がい福祉における総合在宅ケアサービスを提供。現在ヒューマンリンクグループでは全国に145事業所を展開。一般社団法人日本デイサービス協会 副理事長。
2015年「EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・ジャパン」北海道ブロック特別賞を受賞。

【座右の銘】 至誠にして動かざる者は、未だ之有らざるなり


“困っている人達の問題に気付いたら、誰も手をつけないことをどう出来るかに転換する”

記者:田中さんのお仕事について聞かせてください。

田中 紀雄さん:(以下、田中 敬称略)
初めは高齢者の自立支援をサポートするリハビリ特化型デイサービス「カラダラボ」からスタートしました。ですが、それだけでは日常生活のアプローチには不十分で、人によってステージは様々ですし、法律と法律の狭間で困っている人をみていく中で複合的に必要なものを地域に落としていくことをしています。

記者:困っている人を助けたいという思いはあっても、事業として採算が合わず本来取組むべき課題に着手できないことや、利益中心で利己的な企業もある中で、福祉のお仕事はまさにそんなことの連続だと思うのですが、それについてはどうお考えですか?

田中:困っている人達の問題に気付いたら誰も手をつけないことを、どう出来るかをいつも考えています。どれだけ良い事でもボランティアではつづかない。それをビジネスとして継続させる環境を整備し、創り、展開していくことをしています。
当時は軽度対応のデイサービスなんて儲からないと、様々な人から反対されましたが、追求して頑張って、今では全国に12業態145事業所を展開し、事業所の数だけではなく、企業としても高く評価して頂いてます。

記者:その先の夢やビジョンなどはありますか?

田中:理念ベースでいうと、僕らのやっている仕事はシンプルに、人の助けが必要だったり命が関わる場面が多いので、『僕らがいるから大丈夫〜Innovation for life』という理念をたてて生活レベルでイノベーションを起こしていきたいという想いでやっています。戦略にも『まちつくミライHome Care Valley Initiative』という商標登録にして意識化できるようにしています。
僕らは社会資源を創っていくうえで、横のつながりが弱い医療、介護、福祉の連続性を生み出す為に、必要な業態を必要なだけ、その地域に応じてつくることで、地域の大規模多機能化を推進しています。身体的、精神的、社会的自立を柱とした、新しい共生社会の実現を目指しています。

“介護業界で経営者として正々堂々と勝負していく”

記者:凄く素敵なことだと思いますが、今はまだ福祉ときくとカッコイイ仕事というよりは3Kといわれていたり、他のサービス業と比べても小規模なイメージを持たれると思うのですが。

田中:そういうイメージも壊していきたいです。母体としては上場レベルの会社を目指しています。事業を起こすのであれば1億はやらないと会社の社長として認めてもらえないので、どの分野でも1億の規模にして、さらにブラッシュアップし、各事業を法人化していくことで様々な戦略をたてていけると考えています。
 介護経営者というのはどんどん会社経営をクリーンな方向に進んでいかないといけないと思っています。社会保障を扱うということは納税されたものや保険料が源資となっているので、より会社として健全な方向に発展させていく必要があると考えています。なので僕たちは上場企業レベルのクリーンな状態をつくろうとしています。 

記者:このお仕事にプライドをもっていらっしゃるんですね?

田中:僕ら五体満足で無難に大学に入って、企業に入ってきたけど実は誰でも直接的に誰かの為になるような仕事がしたいと思うんです。でもその時にどこまで本気で心の底からそれができるのかなんです。五体満足に生まれた若者達が高齢者の介護というカッコイ仕事じゃないけど、そういうことに情熱もって取組んでいける環境って必要じゃないですか?そういう生き方が出来る人達と社会の一翼になっていける会社にしていきたいと思っています。

記者:田中さんご自身は介護のお仕事をどう捉えていらっしゃいますか?

田中:なくても困らない価値の低い商品でもセールストークによって価値があるようにするのが営業だと思いこまされて、自分で自分を洗脳して、そこに志を感じられるかなんですが、僕にはそれは無理でしたね。そういう世の中に溢れている仕事に飽きたんでしょう。それで正しい振りをするというのも。
 それだったら、頑張れば頑張るほど、どんなに辛くても直接的に誰かがどこかで助かってる、幸せになっているということをリアルに感じられる仕事という点で、僕は介護と出会って本当に良かったと思っています。

“社会の課題を発見し解決策をデザインして提供する”

記者:今後の構想を具現化する為の計画や実践などお伺いできますか?

他の介護事業者とは違う動きをしていこうと思っています。
具体的にはフランチャイズ形式やノウハウの構築。人材集約型のビジネスは物や商品とは違い、気持ちの理解や心、愛といった大切なものだけど目には見えずカタチのないものが多いですよね。
それを可視化する為に、介護の会社なんですがデザイナーが数名配置されていてノウハウとしてまとめて水平展開することで、足りない事を自社以外の力も使いながら求心力を付けて展開するこができるというのが僕らの必勝パターンです。

記者:介護事業をするきっかけにはどんな出会いや発見があったのでしょうか?

田中:前職でフランチャイズで全国展開するというスキームを自分で勉強してやっていたので、自分の持っている能力は0から1は作れないけど1から10を生み出すことだと思っていました。前職を辞めた後、様々なビジネスマッチングの場にいくと、技術はあるけどどう展開していいのか分からないといった人達がいて、マッチングすれば何でもできると思いました。そんな中で介護の会社の損益計算書を見る機会がありました。前職の美容室と比べたら介護のほうが儲かっているのに何で3Kとかいわれているんだろうって。
そこから興味を持ち始めました。
元々サービス業の視点で見ていたので、当時の介護は本当に酷くて、このレベルなら自分はもっといいサービスができると思いました。フランチャイズパッケージにするためのノウハウ構築が得意だったのですぐに固めてパッケージ化して展開していきました。

“自ら背水の陣を敷いて動きつづける

記者:そういった向上心や熱い想いにはどんな背景があるのですか?

田中:昔は自分の会社を批判しては辞めてを二社ほど繰り返していました。ある時、新卒で入った会社の同僚が年収一千万プレイヤーになっていて、新卒者何千人という前で講演していたんです。自分はといえば、常に環境に指をさして自分は変わろうとしていなかった。そんな自分がヤドカリみたいに思えたんです。
映画ロッキーザファイナルで「人に指を指すというのは卑怯ものがやることだ」というシーンがあるんですけど、その時の自分はまさにそんな状態でした。
それに気付いたら、今度は自分に指を指すんですよ。だとしたら自分はどう行動すべきか?と。
そこから本気で変わらなきゃと思って、死にもの狂いで働き始めました。
北大生や東大生を頭の中で仮想の敵にして、そこに絶対に負けたくないという想いを原動力にしていました。人は生まれながらにして能力の差は平等ではないことはわかっていましたし、自分はバカなんだから人の3倍働こうと、唯一平等なのは時間だけなのでそこでカバーするしかないと思ってやり続けた7年間。28歳で年収一千万プレーヤーになりました。

20代の頃にいっぱい勉強もしたしセミナーにも行ったし、いろんな本も読んだけど、どれも意味がなかったと思っています。行動して失敗することによって再び学び直し次のアクションが変わっていく。そういうPDCAが頭の中にサイクルし始めたら強いですね。それが20代のうちにできたら望ましいと思います。
誰かに教わるわけでもなく、それぐらいやって自分で自分のスタイルを創りました。今は時代と逆行しているのでこういうことはあまり語りませんがね。

記者:そういった動き続ける原動力には自分は大したことがないという劣等感や向上心が起爆剤になっていたということですか?

田中:そうですね。なっていたと思います。でもあとは成功体験がやめられない刺激にもなっていますよね。8割が大変なことなんですが。

記者:諦めそうになったことはないんですか?

田中:いっぱいありますよ。というか、くじけたらおしまいですよね。会社経営者なんですから、借金して会社を創っていくことは背水の陣を敷いているようなものですから不退転の決意でやっていかなければいけないことで、これはそんなかっこよく言うことではなくて、日々自分を感じながらやっていく部分ですけどね。
ただ得体の知れない不安感は常にありますよ。だからみんな頑張るんじゃないんですかね。

記者:そこをどうやって立て直してらっしゃるんですか?

田中:そうですね・・・。継続していれば立直ったりしてます。結構ピンチはたくさんありましたし、お金のピンチも熱心にやっていたら誰かが助けてくれました。成長も早かったですしその度にピンチや課題が訪れて、次また見たことのないピンチや課題が絶対出てきます。
解決する方法は常にシュミレーションをしてるんだと思います。

記者:なるほど〜。本日は貴重なお話ありがとうございました。

田中さんの活動、連絡先についてはコチラ↓↓↓

株式会社ヒューマンリンクHP
株式会社ヒューマンリンク社長室ブログ
株式会社ヒューマンリンクFacebookページ

【編集後記】
今回の記者を担当した清水と堀江です。
もともと誰の心にもある困っている人を助けたい。そんな純粋な想いがただのいい話で終わるのではなく、現実にカタチとして社会や人の意識に落とし込んでいく実践力と情熱には学ぶことが沢山ありました。
沢山の限界突破を繰り返し、ご自身で開拓してこられたお話は、道なき道を開拓していく、北海道の開拓精神そのもの!
これからの更なる発展とご活躍を楽しみにしています。
ありがとうございました。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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