祖父はなぜ同じ話を繰り返したのか_

祖父はなぜ同じ話を繰り返したのか。

昨日書いた「はつの円坐」で聞かせていただいた80代、90代の先輩のお話。お寺の方によると、何度も聞いている話だったという。

それで数年前に亡くなった祖父のことを思い出した。

いまから五、六年前、晩年の祖父は老人ホームに入っていた。僕はその頃、ニート状態にあって時間だけはたっぷりあったから、介護に行く父について祖父の老人ホームを訪問した。

父が日用品を買いに行く間、決まって僕は祖父と二人きりになった。
そして、祖父はそのときだけ、あの話をした。

それは戦時中の話だ。
砲弾が飛び交う中、岐阜のどこかから名古屋のどこかまで、資材を持って走って届けた話。

軍隊に入った祖父は「ハリキリボーイ」と呼ばれていたそうだ。はじめは上官にベルトのバックルで殴られたりしていたらしいが、次第に気に入られるようになる。

そのクライマックスが先の砲弾の雨が降るシーンだ。
いつも祖父は語りながら興奮していた。戦争の話なのにうれしそうだった。

僕はその話を十回以上は聞いたと思う。「また同じ話か」と思わずに聞き続けられたのは、熱を帯びたときの祖父が元気になる感じがしてうれしかったからだ。

日用品を買ってきた父が戻ると、祖父はすぐにいつもの気難しい祖父に戻った。「ハリキリボーイ」だった青年の面影は、どこにもいなくなった。

そのときに思ったのだけれど、歳を重ねると人は、最終的に自分がたっぷり入った思い出だけを残すのではないかと思う。同じ話を繰り返すのは、それを語ることで当時の自分、あるいは自分にとってとても大事な資質がよみがえるからではないか、と。

祖父の話の中には、彼の勇敢さや上官に認められた誇らしさがあふれていた。そのとき、祖父は僕のおじいちゃんではなく「ハリキリボーイ」だったのかもしれない。

もしかしたら、僕がとんちんかんだから、祖父がその挿話に込めた「戦争のない世を」という願いを聞きそこなったのかもしれない。だから、何度も繰り返したのだと考えることもできる。

でも、僕にはそうは思えない。あの語りの中のいきいきとした嬉しそうな表情は僕なんか関係なかったんじゃないかな。

そんなふうに元気でいきいきとした姿を見せたのは、僕が知る限りそのときだけで、その後、祖父は気難しい祖父のまま亡くなった。

だからいまでもこうして書きながら、人ってなんなんだろうなと思う。
あのときの「ハリキリボーイ」の高揚は、こうして僕の心の中に残っている。

その話をしているとき、祖父は僕の友達みたいだった。

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