エロスと助平

エロスと助平。

岐阜県、郡上八幡の「郡上おどり」にはじめて行った。

町中が踊っている、と聞いてはいたけれど、こんな光景に出くわすとは思ってもみなかった。

人、人、人だらけ。それが列になって、同じ踊りを踊っている。

僕ら夫婦は振り付けを覚えていなかったけれど、とりあえず輪の中に入ってみた。振りはそれほど難しくなくて、上手な人を真似るようにして何度も踊っていると、なんとなく手の動き、足の動きが合ってくる。

かっ!

という下駄の音や手足の動きがぴたっと合うと、なんとも言えず気持ちいい。僕らは人ごみが苦手だけれど、踊りの輪の中に入っているときにはむしろ心地いいくらいだった。

顔、顔、顔。踊っていると、たくさんの人とすれ違う。
男の人、女の人、若い人、年配の人、きれっきれの人、それなりの人。

言葉は交わさないけれど、一瞬一瞬、鮮明に出逢っている感覚があった。

踊り続けていると、だんだん、なにも考えることができなくなって、ぼーっとしてくる。一心不乱とはこのことか。

すると、出会っている無数の人たちの中に、妙な色気を発する人がいることに気づく。

それは男ならみな常時つかっている「かわいい」「きれい」といったセンサーとは違う。そのセンサーでは、踊っているときには浅い反応しか得られず、相手の面影もすぐに薄れていく。

そういう若い子たちよりもむしろ、僕よりも年上の「熟した」女性から発される色香があった。なんと言ったらいいだろう、もっとむわっと香ってきて、帰ってきた今も忘れられないような。

僕はそのことを「助平な感じがした」と帰り際に奥さんに話した。

帰宅して、郡上おどりについて調べてみると、郡上の踊り好きな人たちのことを「踊り助平」というらしい。

踊り助平が 今来たわいな わしも仲間に ササしておくれ

これは人気曲『春駒』の一節。
そのほか、朝四時まで休みなく歌われていた民謡の歌詞をみると、これがまた、実になまめかしくて助平なのだ。

散ると心に合点はしても 花の色香につい迷う
娘島田に蝶々がとまる とまるはずじゃよ花じゃもの

これは、定番曲『かわさき』の中のもの。

ハー私しゃ紀の国みかんの性よ 青いうちから見染められ
赤くなるのを待ちかねて かき落されて拾われて
小さな箱へと入れられて 千石船に乗せられて
遠い他国へ送られて 肴屋店にて晒されて
近所あたりの子供衆に 一文二文と買い取られ
爪たてられて皮むかれ 甘いか酸いかと味みられ
わしほど因果な物はない

これは『げんげんばらばら』。みかんも踊り助平がみると、こうなるか。

もっと露骨にこんなのもある。

色で身を売る 西瓜でさえも 中にゃ苦労の コラ種がある
元まで入れて 中で折れたら コラどうなさる
一夜寝てみて 寝肌が良けりゃ 妻となされよ コラ末までも
一夜ござれと 言いたいけれど まんだ嬶まの コラ傍で寝る

これは踊りが複雑だった『猫の子』。

独特の言い回しだったこともあって、踊りの最中にこれらの歌詞を意識することはなかった。それでも改めて読み返してみると、その中にただよっている助平は、感じられていたんだなあと思う。

踊りながら、顔と顔が合う刹那、僕らは歌の中の男女になっていたのかもしれない。「熟した」女性たちは、より踊りに深く入っていたからこそ、歌になりやすかったのかもしれない。

それはエロスという言葉が指すものとは違う、日本古来の、由緒ただしき助平だった。謡っていたのが年配の男性だったのも、臨場感に拍車をかけた。

こういうにおい立つような助平を、僕らは都会的な生活をする中で忘れてしまったのかもしれない。郡上おどりは、さりげなくそれを蘇らせることで、人々の活気を回復させている、といったら妄想がすぎるだろうか。

ちなみに、この郡上おどりは、かつての藩主が各地で踊られていた盆踊りを集め、人心の安定と平和を楽しむために奨励したという。

明治には禁止令も出たそうだが、その粋さが四百年にわたり、滅ぶことなく残ってきたことって本当に貴重なことだと思う。

ま、助平は死なない、か。

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