歌の中の_あなた_を読む_

歌の中の「あなた」を読む。

最近、奥さんがやっているカードリーディングを「面白いもんだなあ」と思って眺めている。

以前、記事に書いたように、彼女の引くカードは不思議と僕たちの人生を反映する。

そして「このカードはなんだろうね」と読み合うとき、なんだかワクワクする。ぴたっと当てはまると、そりゃあもう快感。

今日、それと似たことが『あなたのうた』『作曲事始』の現場でも起きているんだなと思った。

「この歌を通して語りたがっているのは、
 本人ではなく、関係の深い別の人だ。」

昨晩、『作曲事始」でこの鳥肌ものの発見をしたとき、奥さんの引くカードの意味がわかったのと似た快感があった。

カードも、歌も、それ自体は中立の存在だ。
歌はカードと違って人の意図が入ると思われるかもしれないけれど、実際には、人が作るというより思いつきの産物だし、言葉も音もたくさんあるから、そのすべてを操作することはできない。

で、その操作できないところに、ひょいっと「大切なもの」が入りこむ。
昨日の記事でいえば「この曲を通して語りたがっている誰か」が歌に憑依するような感じで。

曲を仕上げるのは、その「大切なもの」を掘り出していくような作業かもしれない。言葉を、音を当てながら、現れるものが現れるようにする。これが、めちゃくちゃ面白い。

そうして意味がわかることで、相手をより深く知れたような喜びに達する。

この意味がわかるということは、人間にとってすごく大事なことじゃないでしょうか。意味がわかるかわからないかで、ほんとうに違う。わけのわからない仕事を長続きさせることは非常に難しいです。意味がわかってからやるわけですね。(河合隼雄『こころの最終講義』より)

『あなたのうた』にしても『作曲事始』にしても、単なる楽曲制作、作曲教室ではないなと思っていたけれど、それはこの「読む」部分があるからなんだと気が付いた。

できあがった(現れてきた)作品をいっしょに鑑賞し、読んでいくことで、そこにある意味を発見していく。

意味がわかると、そこにいる「あなた」が際立つ。

僕が歌を介してしている仕事は、図らずもそのような個人セッションに近づいている。

そもそも『作曲事始』は「作曲のハードルを下げられれば」と思ってはじめた仕事だし、当初は一日で曲をつくるワークショップだった。

そのワークショップにいまいち人が集まらなくて、仕方がないのでオンラインに変えたら複数回やれるようになって、やっているうちに中身が変わって、いまのかたちに成った。自分で意識的にやったことは、ほとんどない。

それに『あなたのうた』にしても『作曲事始』にしても、ここまで面白い仕事になるとは思っていなかった。来てくれた参加者の方々や現れた曲など「おのずと現れたもの」が変化を促したと言っていいと思う。

そのインパクトに驚くばかりだ。
今度、11月3日に『あなたのうた』を披露するライブ『みんなのうた』のサブタイトルは「導かれし者たち」だけれど、どう考えても僕が一番導かれている気がする。

このタイトルだって、面白半分に某ゲームから拝借したものだったのに、それがこんなに深い意味をもつんだから、すごいよねぇ。

「なんとしてでも現れたい」という意志すら感じる。

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