天によって完ぺきに決まっていて_それが故に完全に自由_

天によって完ぺきに決まっていて、それが故に自由。

昨日、夏バテしていたので、スマホやパソコンから離れ、静かにこの本を読んでいた。

西村佳哲さんが様々な仕事をされている十人にインタビューしたものをまとめた本。いつ読んでも、栄養価の高い食事をとったときのような充実感がある。

頭から読みはじめて、中盤に軽井沢の風越学園の理事長(実際には準備財団の理事長のようだ)をされている本城慎之介さんの章があった。

その中の、インタビュー本編に入る前のこの文章が目にとまった。

このインタビューは彼が「ぴっぴ」で働くようになって6年目のもので、いま準備中の学校の話はまだ姿を現さない。が、彼の教育観や人間の見え方、対人関与の姿勢がどう変わってきたのかはよく見えるし、来たるべき仕事への予感が隅々に見出せる。

その人が次になにをしていくのかは本人がよく知らないだけで、行動にはすべて露呈しているし、実は本人もわかっているんじゃないか。

これを読んで、ふっと、おとといの甲子園決勝のことを思い出した。
履正社の優勝は、序盤の攻防においてすでに露呈していたのではないか、という意味で。

その甲子園の景色から、ぼくの意識は、先週の日曜日に大阪・石切で橋本久仁彦さんが語っていた言葉に流れていった。

その人が次になにをしていくのかは、現在、すでに露呈している。
そのことが未二観においてもわかると解説されていたときの語りだ。

じゃあ、最初から予測したらいいんだねっていうふうになるが、そうはいかないんだ。予測はできないのです。この向こう側とこっち側とは完全に断絶していますので、こっちにいこうと思えば、ここで、えらいこう揉めながら、苦しい思いしながらいくしかないの。

どうせここがあるんだから、いいじゃない、いま大事な話しようよっていうのは、通用しないんだ。ここが断絶しています。ここちょっとあの、「彼岸」と「此岸」という、死者と生者の考え方になりますので。

向こうは見えない。にもかかわらず、こちらサイドから懸命に語りを起こしていったりして到達するところは、まるで向こうから、そうなるように、あらかじめ決まってたかのように見えるような現象があると思うんだね。

だからぼくらは自分が成長するとか、気づくとか、わかってから動くことはできないんです。おれたちの成長はなんなのか、おれたちが花咲かしたらどんなふうになるのか、わからないんだ。

思うようにはいってないんです。思うようにはいってないんだけど、いま現在の動き見ると、なんらかの方向に向かって、なんらかの実りに向かっていっているように思われるが、あらかじめは分からないんだ。なぜかというと、その人が他にいないからです。

で、あらかじめ何だかわからないという条件においてのみ、その人の本来の姿が立ち現れるという構造になっているのです。あらかじめ分かったら、もうそこで腐る。いいかな、わかる、分別、すると腐る。

だから、わからないままでいたいわけだ。そうしたときにはじめて、その人の本来が現れることができる。この本来はしかし、現在の本人はアクセスすることが無理なんです。この断絶、これを無分別というふうに言っています。

到達すると、まるで向こうから、そうなるようにあらかじめ決まっていたかのように見える現象。

しかし、こちらから予測はできない。
揉めながら、苦しい思いをしながらいくしかない。

漫画『バガボンド』の中で、沢庵和尚という人物が、主人公の宮本武蔵にこんなことを言っている。

「お前の生きる道は、これまでもこれから先も、天によって完ぺきに決まっていて、それが故に完全に自由だ」

天によって完ぺきに決まっているのなら、生きる意味がないような気がするけれど、でも完全に自由だという。それが故に。

ふたたび、石切での橋本さんの言葉を思い出す。

われわれは、非常に窮屈なんじゃなくて、われわれを通じて、周りじゅうの働きが、われわれから言葉を得て、一種の変換器のようなもの。われわれはだから、植物の先っぽみたいなものだ。枝の先みたいなものだ。非常にちっちゃいものだが、われわれを通じてなにかが出ていくという、そういうものの見方をしています。

ですので、自分を改善せなあかんという感じは、ないです。
むしろ、死ぬまではこのかたちを楽しみたい。

なんにも知らなくていいけど、好きなことしていいわけだ。
これ結構、最高だと思う。へへへ。

なんにも知らなくていいけど、好きなことしていい。
天によって完ぺきに決まっていて、それが故に完全に自由。

いま、橋本さんのこの「へへへ」が、本当にうれしそうだったのを思い出している。

このところ、奥さんが次になにをしていくのかという話をすることが多く、時にわくわくしながら、時にうーんと煮詰まりながら、その行方を見守っているのだけれど、そういうとき、たまに「くにちゃん(橋本さん)だったらなんて言うかな」という思いがよぎる。

もしかしたら「なんにも知らなくていいけど、好きなことしていい」と言い放って、ぼくらをぽかんとさせて「へへへ」と笑うのかもしれない。

あんな感じで。

でも、それだって、聞いてみないとわかんないよね。
そして、大抵、予測は外れるんだよなー。思うようにはいかない。

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)