「長い関係」は、途絶えつつあるのか。
最近こんな記事を書いたら、
真逆のこんなニュースが目に入ってきた。
そして、樹木希林さんと内田裕也さんの添い遂げ方に関心した一方で、
結婚する人は減っているらしい。
そして、出生率も過去最少だ。
ひとつの会社に入って定年まで勤めるとか、ひとりの人と結婚して添い遂げるとか、そういった「長い関係」がじわじわと減っている。会社(組織)と従業員、夫と妻、親と子の関係がより短期に解消されたり、そもそも築かれなかったりしている。
それで思った。
もしかしたら誰かと、あるいは組織と「長く付き合う」という文化が途絶えつつあるのかもしれない、と。
話は飛ぶが、不登校が過去最多で、5年連続増加しているという。
背景は様々だろうけれど、児童館で子どもと関わったり、学習会で中高生をみたりする限り、学校は「人間関係」をする場ではなくなっているようだ。
先生が忙殺されているからなのか、みんながスマホをみているからなのか、娯楽が多すぎるからなのか、いじめが多いからなのか、それは分からない。でも少なくとも学校という場所と「長い関係」を築くことは、以前よりも難しくなっているらしい。
こうしたことがいいことなのか、悪いことなのかは分からない。
自由で本音で生きることが許されるようになった結果かもしれない。
たとえば、アドレスホッパーという一ヶ所に定住しない生き方、ノマドワーカーというどこでも働けるワークスタイルみたいなものが「おしゃれ」と見なされもする。
人間は変化を嫌いつつ、変化せずにはいられない厄介さを抱えていると思うし、一つの場所や関係に耐えつづけることには、ストレスも多い。自分をころしてまで一つの場所や一人の人に固執することは悲劇的でもある。
ただ、それでも僕としては、もうちょっと「長い関係」が大事にされていくといいなと思ったりもする。農業みたいに、長くて、時間をかけて培われる関係が。
かく言う自分は、転校、転居、転職を繰り返してきたクチだ。
だから、地元にずっと住んでいるとか、定年退職とか、「お墓まで立ててあげる」といったことに尊敬に近い気持ちがある。
学校や住まい、職を変えると、過去の失敗がリセットできたような気持ちになる。でもそれは錯覚で、同じような失敗を別のところでも繰り返すことになる。
それに「自分の失敗や過ちを知っている人」といられることって、すごく大きい。過去の失敗を知りながらなお、共にいてくれる人は、実は一番の安心を与えてくれる。それによって身の丈もわかって、自然に謙虚になれる。転々としている人生のデメリットは、このことに気づきにくい点にある。
人が失敗を必要以上に怖れたりするのも「失敗してもいっしょにいてくれる」ことが信じにくいからではないか。だから「長い関係」が育ちにくいのかもしれない。でも、それだと「待つこと」や「長い目でみること」も学べないから、ますます失敗が怖くなる。
酸いも甘いも、紆余曲折も共にして、なお一緒にいる。いてくれる。
なんかそういう「長い関係」がいいなあと思えてしまうのは、僕が歳をとったからなんですかね。みんな、そんなに急いでどこへ行く?
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