聞く2

この悲しみをどうすりゃいいの。(メルマガ『生きているQ』より)

この記事は、㐧二音楽室のメルマガ『生きているQ』の配信記事を加筆修正してお届けしています。

おはようございます。澤です。

聴いていただき、
ありがとうございます。

昨日、
フェイスブックに書いた投稿が
どえらい反響でしてね、

これなんですけど、

フェイスブックに
コメントをもらったときに
ときどき感じる
「ん?」という違和感。

そのことについて書いた投稿です。

「細かすぎて伝わらない」系の
話だと思っていたのに
たくさんコメントをもらったり、
次々にシェアされたりして
内心ドキドキしています。

中には

「気にせず
 スルーすればいいじゃん」

という意見もあって。

そうだよなーと思いつつ、

でもなーという思いが残ります。

僕も基本的に「ん?」と思っても
いちいち言ったりせず、
スルーすることが多いです。

そのほうがお互い
いやな思いをしなくて済むから。

でも一方で、
こういうことって
気にして伝える人がいないと、
気づけないなとも思います。

そして、この話って
「細かすぎて伝わらない」系
と言いつつ、

「話をきいてもらえているか」

ひいては

「その人と共にいるか」

というけっこう大事なことと
つながっているように
思えているんです。

「話をきいてもらえた」という喜び、

その反対の

「話をきいてもらえない」寂しさって、

僕たちが子どもの頃からもっている
強烈な願望だと思います。

僕らが分かち合いたいのって、
話の中身よりも

「きいてもらえた」
「いっしょにいてくれた」

という
たしかな実感じゃないか
とすら思えていて。

そう思うと、
僕自身もふつうのことと思っていた

「スルー」

という言葉が
なんだか切なく感じられます。

なんだろうな、このさみしさは。

仮に細かすぎたり
人にいやがられたり
うっとうしがられたりしても
「スルー」しない人は
その人と生きていく気がある。

といったら、大げさでしょうか。

この悲しみをどうすりゃいいの
誰が僕を救ってくれるの

と歌ったのはユニコーンですが、

自分を救ってくれるのは、
実はいやなことを言ってくる
その人かもしれない。

そんなことを思う今朝です。

あ、ちなみにユニコーンは、
こうも言っていますね。

お金なんかは
ちょっとでいいのだー
(UNICORN『大迷惑』より)

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