長い関係

まだあわてるような時間じゃない。

去年、ほぼ日の「今日のダーリン」というコラムで「ある時代の『社会の時間感覚』は、その時代の大きな産業の商品が、生産されて消費されるサイクルを基本にしている」という吉本隆明さんの見解が紹介されていた。

僕らが「忙しい」とか「ヒマだ」と感じる感覚は、かつては、自動車がつくられて買われて運転されるまで、それより昔は、米が種もみとして蒔かれて、稲が刈り入れられ、米になって人の食卓にのぼるまでの時間が基準になっていたという。

いまに置き換えるとそれは、アマゾンの倉庫に商品が入って、ネットで注文されて、届くまでということになる。このコラムを書いた糸井(重里)さんは「稲作時代の200倍くらいの速度」と紹介していた。

ひとが歩く速度が約 4㎞/hだから、その200倍だと約800㎞/h。
人類最速のウサイン・ボルトが走って、17km/h。大谷翔平投手の速球が、165㎞/h。新幹線のぞみが、約300㎞/h。一番近いものを探したら、旅客機の約900㎞/hだった。

歩く速さを基準にした「速い、遅い」と、旅客機を基準にした「速い、遅い」とでは、時間の流れ方がとんでもなく違う。いまの「忙しい」は、旅客機並みに「忙しい」のだ。

感覚的にもなんとなくわかる。

以前、ファミコンとスイッチを両方やった時に「ファミコンってずいぶんのんびりしてるなあ」と感じた。この三十年くらいの間でも処理する情報量がとんでもなく増えているのだ。ずっとスマホを見ていたら、そりゃあ疲れるはずである。

もうさ、社会の時間感覚が「無理」のレベルにあるのよ。

と糸井さんはいう。
そうだよなあ。どんなに速く走ったって、10倍がいいとこなんだから。

昨日「長い関係」について書いたけれど、

雇用や婚姻といった関係が短期に解消されたり、そもそも築かれなくなっているのも、この時間感覚の「無理」がたたっているのかもしれない。

そして、その「無理」は、産業だけでなく、子育て、教育、福祉といった分野にも影響を及ぼしている気がする。

「長い目」でみることができずに、よかれと思ってあれこれ試したり、手を出したりしたくなってしまうのだ。で、それがうまくいかないと、すぐに諦めてしまう。人という自然とかかわるときには、アマゾンよりも稲作に近い時間感覚が必要なのに。

「まだあわてるような時間じゃない」

というのは『スラムダンク』の仙道の名言だけど、あんな感じで「落ち着こう」という人がいまはあんまりいないのかもしれない。むしろ、あわてないとついていけなくなるのだろう。

このままいくと、人はどんどん「遅い」「待てない」「間に合わない」というふうになっていくのかもしれない。

「無理」なんだっつーの。

とちょっと反抗的に言ってみたくもなる。

でも、不思議じゃないですか?
稲作の頃から何度も技術革新が起きたと習ったのに、こんなにみんな忙しくして時間がないのって。

技術は人をらくにするためのものではなかった、のか?
そんなふうに「あれ?」って思うけれど、なんとなく順応していることってけっこうありますよね。

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