ギターマン

自分の仕事をつくる。

西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』という本を読んでいたのは、社会人三年目か四年目のことだったと思う。二十五、六の頃。

その頃、僕は仕事に煮詰まっていた。
なにをしていても「やっている」感じがしなくて、いつも不安だった。

だからこのタイトルに惹かれ、次に刊行された『自分をいかして生きる』と合わせて貪るように読んだ。そして、この本との出会いはやがて「聞くこと」の師匠、橋本久仁彦さんとの邂逅に僕を導くことになった。

それから十五年後の昨日。

僕は「あなたのうた」という仕事をした。
依頼してくれた人の話を聞き、それを歌にするという仕事だ。

できた曲を披露してよろこんでもらえて、ふっと、自分のしていることが「自分の仕事」になっていることに気が付いた。そうして、フェイスブックにこんなことをつぶやいた。

なんかようやく自分の思っていることを
「仕事」という器にのせられるようになった気がする。
十年かかった。

会社員をやめたのが三十一だったから、ちょうど十年。
でも、実際には会社員の頃も「仕事をしている」実感がなかったから、手応え」を感じるまでに二十年近くかかっていたことになる。

この記事では備忘録として、その十年とか二十年の間、なにをしていたのかをメモしておきたい。

自分のことばを取り戻す。

僕の場合は、なんと言っても「ことば」の問題が大きかったと思う。
いまもこうしてブログを書き、案内文を書き、メールを書きという生活をしているわけだけれど、その言葉にいかに自分を投入できるかが大事だと思ってきた。

最初は案内文ひとつ書くのもつらかった。「正直に書けばいい」という気持ちと「正直に書いたら『来てください』も言えなくなる」という気持ちが交錯して混乱していた。

自分が書いたり、話したりする言葉にきちんと熱がこもり、力が入っているか。正直であるか。ワクワクするか。その調整をずっとしているうちに言葉に占める自分の思いの含有率が上がっていったように思う。で、この頃ようやく「ほとんど自分」と言えるくらいの一致感が出てきたのだ。

気の合う人を見つける。

自分の「ことば」を見つけるのには、それを聞いてくれる人が必要だった。先の橋本久仁彦さんの場で「よく聞かれる」経験をしたことを皮切りに、住むところや職場を変えながら、自分の話を聞いてくれる人、話を聞いていて心地よい人のところに近づいていくようになった。

でもこれって、自然なうごきに思える。
好き嫌いというよりも相性の問題で、自分の話すことを了解できる人とそうでない人がいることは当たり前のことなので。

学校でも、会社でも、家族でも、そこに縛られるのではなく、本当に気の合う人に近づいていける流動性があってもいいのかもしれない。自分のことを本当に深く理解してくれる人と出会えることはなんといっても幸せなことだから。

感じることを思い出す。

かつて、三十代前半の頃の僕は「感じるってどういうことなの?」と友人に尋ねていたらしい。そのくらい僕は「感じる」ということが分からなかった。そして、それが大事だとは直感していた。

本郷綜海さんとの出会いがそれを回復する契機になった。『魂と繋がる歌の唄い方®︎』をはじめとするワークショップに参加することで、僕は自分の感覚を徐々に取り戻していった。同時に「他者がいる」という実感も。

そこで教わったグラウンディングを毎日やり、いまでは感じることを使って仕事をしているのだから面白い。「それが大事だ」という直感は当たっていたのだと思う。いま思えば、感じることの回復は、かけがえのない自分を取り戻すことなのだから、大事に決まっているのだけれど。

続く環境をととのえる。

これは誰でもそうとは思えないけれど、僕の場合は、どんなSNSを使い、どんなプラットフォームで文章を書くかはものすごく重要だった。「ここなら書ける」「ここは進まない」というのが顕著だったのだ。

それは上に書いた「気の合う人」を探すのと似ている。「ここは気持ちいい」というポイントがあるのだ。そうじゃないと続かない。

巷で言われるように「続けること」って本当に強力で、僕も日記やブログやメルマガを書き続けているけれど、習慣になるものって文字通り「身に付く」ものだから「気が合う」ことって本当に大事だと思う。

人の意見は聞いたり聞かなかったりする。

「人の意見は聞くな」というほどの豪傑ではないので、結構、人の意見に左右されてきた。やってみるといいよ、ということはそれなりに試したりしてきた。いいものもそうでないものもあった気がする。

ただ、先に書いた続くかどうかというところで、自分に合っていないものは落ち葉のように落ちていった。やっぱり力がこもるもの、手応えがあるもの、無理がないものが「身について」残っていくような気がする。

それに、僕らはたぶん攻略本が欲しいわけではないんだと思う。自分でわかりたいし、自分で探り当てた手応え、生きている実感を喜びたい生き物なんじゃないかな。

人のことばを燃料にする。

意見は聞かないこともあったけれど、感動できる「ことば」はいっぱい摂取した。好きなアーティストの歌詞とか、先の『自分の仕事をつくる』『自分をいかして生きる』もその一つだ。

それらは直接ゴールに導いてくれるわけではないけれど、感動して震えて泣く中で「自分がどっちにいきたいのか」の方向を教えてくれる。どっちに行きたくて、生きたいのか。大事なのは文章よりも、その自分の内側で震える共鳴体のほうなんだと思う。

例えば、糸井重里さんの「たのしくったって仕事はできる。」というコピーは、ずーっと僕の理想であり目標だった。もういらなくなったけれど、そう思うと、自分が感動することばって「自分が信じたいこと」なんだと思う。

やってみる。

あ、大事なことを書き忘れていた。誰もが言っていることだけど「Just do it」、やってみるって本当に早い。

合ってるにしても違っているにしても、やってみるとわかる。
試着をしてみないと自分に似合っているかが分からないように、やる前から結果を予想するのって不可能じゃないかと僕は思う。

結局のところ「自分の仕事」というのは、自分の発することばと体と仕事のサイズが合っていることなんだと思う。頭からしっぽまであんこが入ったたい焼きみたいに。そのプロセスすべてにおいて「自分がいる」感じがして、それが誰かに受け取ってもらえて、喜んでもらえたらこんなにいいことないもんね。

ダメだったこと。

そして、ダメだったこともある。
一つは「やらされてやる」こと。会社員をやめた当初は自分に合った職場なり、仕事なりをパッケージで探そうとしていたけれど、どれもやらされ仕事なので、最終的にはイヤになってしまった。

もう一つは「お金のためにやる」こと。これは今後克服した方がいいのかもしれないけれど、いまのところ全敗。昨日なんて、お金の話をされた途端におなか下したもんなあ。参加のさせ方がわからない。力は借りたいけど、付き合いにくい友達みたいな感じ。

いずれにしても、無理強いはあまりいい結果を生まなかった。自分や人を責めることも今風に言えば「コスパ」が非常に悪い。そして、このパートを書いているだけで、なんだか気分が重たくなる。笑

これは昨日の「あなたのうた」の様子。
料金はモニター価格の千円だし、やったことも単純だったけれど、これは「自分の仕事」だった。

ここに来るまで二十年。えらく長くかかったなあと思う。
こんなにかけなくてもよかった気がするけど、どうなんだろうね。

いま、僕にとって「仕事」とは、人間関係であり、自分の全力が出せる活動だ。そして、人とともに喜ぶ場所と時間を自分の手でつくることでもある。

自分の得意なことで、好きなことで、意味を感じることで、真剣に悩んでいることで、人とつながり、全力を投じ、喜んでもらえて、お金をいただく。

いいよね、仕事って。

二十年前の「仕事したくない」の僕は、まさか四十代になってこんなことを言っているとは思うまい。

でも、二十三歳、新入社員で配属された法務部門で、契約書を「ですます調」に変え、丸文字ゴシックにして「この方が読みやすい」と課長に提出したときから、君の仕事ははじまっていたように思う。

ただ、「うん、元にもどしてね」とやさしく突き返されたとき、君は不満そうな顔をしたけれど、そこは当然だと思うよ。

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