みんなのうた2

きくことと、うたうこと。

今日、二つのワークショップの告知をして、いま、もう一つの仕事の案内ページをつくっている。ゴールデンウィーク後半、働いてます。

気づくとずいぶんな数になってきたので、ここで整理してみることにした。

僕の仕事は(あとから気づいたことだが)大きく「きくこと」と「うたうこと」に分かれている。

きくこと。

人の話をよくよく、せめてもう一言だけでもきくことは、相手の印象を変え、相手との関係を変え、ひいては人生を変えると僕は思っている。また、受動的ではなく、とても能動的な営みだとも思う。

「きくこと」の師匠、橋本久仁彦さんの場で学んだことを共有しながら、そんな実感をともにしたくて、いくつかの場をひらいている。

円坐には、事前に決められたテーマやプログラムがない。
ただ円くなって坐り、話したければ話し、話したくなければ話さない、というかたちで時を過ごす。

僕の役割は「守人」として、話された言葉をたどることだ。
この「たどる」という聞き方について、橋本さんはこう解説している。

円坐守人の「辿り」は、言葉を聞いて「理解する⇒反応する」という対象化を離れ、その言葉に成って(憑って)、「その人」という出来事に参入することである。すなわちその人に「成り重なり」、対象的に理解する自分を失うこと。

僕自身はまだまだその境地には至らないが、「辿り」のある場とない場では、質感が違ってくることは実感している。

こちらは、未二観(みにかん)という15分の語りを文字起こしし、丁寧に時間をかけて読み解いていくという営み。

スロー再生で鑑賞していくと、たった15分でもいろんなことが分かる。
無意識に語っていたはずの言葉に思わぬ法則性があったり、その人ならではの言いまわしの趣があったり。

いま、僕は橋本さんの下で、この未二観を読み解く視点について学んでいる。師によれば「未二観とは、主客にわけて対象化しない観(まなざし)」とのことで、どうもまだまだ奥が深そうである。

で、その橋本久仁彦さんを名古屋にお招きして過ごすのが『敬意と尊厳』。

先日の改元の儀式で、上皇陛下の美智子さまや国民に対する敬意に感服することがあった。そして、自分の中からも陛下への敬意が自然に発露するのを感じた。「敬するっていいもんだな」と思えた。

橋本さんを名古屋に呼ぶときには、そのときの旬というか、僕にとって一番大きくてつかみづらいテーマを投げかけている。いまの僕にとってはこの「敬意と尊厳」がそれだ。

誰かに敬意を向けること。人の尊厳を大事にすること。

これらはとてつもなく大事に思えるのに、ないがしろにされているような気がしてならない。

どういう関わりに敬意があり、どういう関わりがそうでないのか。
多くの「支援」や「サービス」の中で混乱している僕たちの思考や感覚を整えるような場になると思う。とても楽しみだ。

うたうこと。

という感じで「きくこと」に強い関心をもってはいるけれど、僕自身は音楽家であり、本分は「うたうこと」にあると思っている。

『あなたのうた』は、15分間お話をうかがって、そこから現れるものを ”返歌” として返す。

じっくりと「きいて」、それを言葉だけでなく、音やリズムも含めて返したら、人はどんなふうに感じるのだろうか。

その答えは、案内ページの参加された方の声を聞いてもらえたらと思うのだけれど、とても不思議なことが起きている。間に「意味不明」を挟んでいることによって、かえって自分のことがよく見えるといった働きがあるのかもしれないな、と感じている。

そんな面白い作曲は、多くの人にハードルが高いと思われている。でも作曲ってパズルゲームみたいなもので、思っているよりずっと簡単なんだよ、ということを伝えたくて場をひらいている。

『あなたのうた』の中でも「作曲いいなあ」という話になることが多い。
そこでパパッとデモンストレーションをするのだけれど「そんなに簡単なの!?」と驚かれる。

このことはオンラインでも伝えられるかもと思い、現在、案内ページを作成中(冒頭の「もう一つの仕事の案内ページ」というのは、これのことだ)。

「きくこと」の師匠、橋本久仁彦さんにお越しいただく二日間の前日に、「歌」をテーマに氏のお仕事を照らしてみる場を設けた。

橋本さんの場でも「歌」はよくたとえとして使われる。
「コーラスのようにたどる」とか「人のことばは歌なのだ」とか。

また、かつては辞世の句のように歌に命を託す文化があった。そのときの心境、あり方とはどんなものなのか。それを再現することはできるのか。
そんな問いを携えながらひらく場になると思う。

六月には、新たに『歌い手冥利』という歌いたい人のための場をひらく。

「好きな歌と添い遂げる」と案内には書いたが、自分の好きな歌の力を借りることで、どんな人でも(たとえ、音程やリズムが外れていても、経験が少なくても、過去に「音痴」と呼ばれた人であっても)人の心を震わせる歌は唄えるという事実を体験してもらいたいと思っている。

なにげなく選んだはずの曲が、その歌詞が、あなたを「歌い手冥利」まで導くガイドになってくれる。この摩訶不思議な現象にいっしょに驚けたらうれしい。

こちらは東京・高尾のすてきなカフェ、ふたこぶ食堂さんで開催するライブ。

ここでは、いままでにつくった「あなたのうた」を披露する。
たった一人のためにつくったはずの「あなたのうた」が「みんな」の前で披露されたとき、それはどんなふうに響いて、どんな感慨をもたらすのか。

参加者の方がいっしょに歌ってくれるコーナーもあって、僕自身とても楽しみにしている。

で、そのライブの翌日が「好きなうたといっしょ」。
八王子に新たにオープンした「アトリエアムリタ」の飯島波奈さんから声をかけていただいて「歌っても、歌わなくてもいい、歌の場」というのをひらいてみることにした。

『歌い手冥利』同様、好きな歌を持ち寄るけれど、ここでは歌わなくても大丈夫。語ったり、聴いたり、踊ったり、絵を描いたり、舞ったり、歌はいろんなかたちで僕たちと遊んでくれるからだ。

もちろん、歌いたくなったら歌っても大丈夫。
その場合には、きっちり「歌い手冥利」までご案内できたらと思っている。


ということで、一気に書いてきたが、多いね(笑)。
我ながら、こんなにあるとは思わなかった。

これで、ただいまの㐧二音楽室(僕の自営業の屋号)の手の内は全部明かしたことになる。

書いてみて気づいたことだけれど、僕はこれらの活動を通じて、その奥にある「不思議」をともにしたいのだと思う。

なんでこんなにうれしいんだろう。
なんで心がふるえるんだろう。
なんで涙がでるんだろう。

そんな「なんで」の不思議を共にできたら、とてもうれしい。
それがなんの役に立つとか、この先のなににつながるかは分からないけれど、とにかくいいなあ、すごいなあと思うから。

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