結婚ノムコウ

結婚ノムコウ。

結婚は「養うこと」に重みがあった時代の制度だとぼくは思っています。

いまの家庭で、一家の長に養ってもらっている、なんて思ってる人はあまりいないんじゃないでしょうか。

逆もありませんよね。家族は経済的に助け合ってはいるでしょうけれども、義務ではなくなってきた。

じつはそのことは、家庭を維持していくのをものすごく難しくすると思います。「結婚はつらいものです。我慢しなさい」なんてことは言えなくなっています。

だからぼくは、いつかは結婚はなくなると思う。
(ほぼ日刊イトイ新聞『この言葉が伝わるときに。』より)

70歳の糸井さんが「結婚はなくなると思う」と言っていることに、とても驚いた。そして同時に「とうとう来たか」とも思った。

ぼくと奥さんは夫婦になって、四年目になる。
この四年間は当たり前とされてきた「結婚」が崩れていく四年間だった。

「夫は養うもの」「妻は家事をするもの」、ぼくらはどちらも十分にできなかった。互いにそれを強いれば強いるほど、どんどん苦しくなっていった。

去年の夏には別居もした。
別居なんてあり得ないことだと思っていたし、痛みもあったけれど、やってみると、お互いに一人の時間がもてるようになり、関係はむしろよくなった。

「こういうのが結婚だ」と教えられていたことを、ぼくたちは一つずつ、自分たちに合ったかたちに再定義しなければならなかった。そうしてできた関係性は、一般的な「結婚」とは、ほど遠いものとなった。

「家族」についても同様だった。
「家族はいいものだ」と無条件に思っていたけれど、このところ見聞きするそれは、いわゆる「家族」を維持しようとする苦しさに満ちていて、先行きを不安にさせた。

そんな矢先に「いつか結婚はなくなると思う」ときた。
糸井さんの言葉は、ぼくにとって最後通告のように思えた。

ぼくは、みながそうしているように、祖父母や両親がしてきた「結婚」をしようとしていた。でも、それは限界にきているらしい。

「結婚」に合わせようとする苦しさは、ぼくら夫婦だけのものではなかったのだ。

正直言って、なんて、めんどくさい時代に生まれたんだ、と思う。
みんなと同じように「結婚」をして、それでスムーズにいったなら、常識から外れていくのを気にすることも、お互いの居心地をいちいち確認する面倒からも逃れられるからだ。

でも、悪いことばかりではない。

今日、60代の方にパートナーシップについてお話をうかがった。

その方は、関係を自由で健やかなものにするために、僕たちとおなじように「結婚」を崩し、自分たちに合うかたちにしようとされていた。

それはお互いを尊重し、丁寧に話し合いを重ねる中で築かれた作品のように思えた。

自分たちの世代ならまだしも、父母と同世代の方がそのような関係構築をされていることに驚いたし、なんだか勇気づけられる気がした。

誰かといっしょに幸せになること。
そこには不断の努力がいる。

その当たり前のことを再認識させてもらった。
「いつかは結婚はなくなると思う」という発言も、もしかしたら、この当たり前のことが表に出てきただけかもしれない。

ぼくは、わたしは、どういたら、いっしょに幸せになれるのか。

それは本来、めんどくさがってられない、一番大事といってもいいくらいの大仕事なのだ。(でも、めんどくさいよね、実際。)

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