支援と支配

支援と支配。

弱い者たちが夕暮れ
さらに弱い者を叩く
その音が響きわたれば
ブルースは加速していく
(THE BLUE HEARTS『TRAIN TRAIN』より)

先日、ある話を聞いた。

詳細は書けないが、強い立場の人が弱い立場の人の思いを聞かず、力をつかって持論を押し通し、ぐちゃぐちゃにしてしまう話だった。

弱い立場の人の良心や葛藤は、強い立場の人の「正しさ」によって粉砕された。強い立場の人は、弱い立場の人の行為を「悪」と決めつけた。

それが同じ子どもを支援する人同士の話だったので、余計に胸が痛んだ。

人が人を支援するとき、そこには強い立場の人と弱い立場の人が生まれる。「助ける」側と「助けられる」側だ。そして、弱い立場の人がうれしい状態になれるよう、支援はなされる。

けれど、時に「助ける」側と「助けられる」側が固定されてしまうことがある。「助ける」ことがアイデンティティになっていたり、「助ける」ことのできる自分と虚栄心を混ぜたり、商売のようにリピータビリティを考えたりすると、そうなってしまう。

言葉は強いかもしれないけれど、それは支配なのだと思う。
そこには相手を弱くするかかわりが混ざっている。「善行」に見えるから見破るのは難しいし、見破っても指摘するのはさらに難しいのだけれど。

たとえば、なにか気に入らないことがあったとき、「助ける」側が力で相手の口を封じたりするのは支配だと思う。だから、冒頭の話のようなことが起きたのだとすれば、その支援者はおそらく子どもに対しても、同じことをするのだと思う。

カウンセリングの大家、カール・ロジャーズは、多くの人の話を聞く中で、人の中におのずから伸びていく力を発見した。スピリチュアルの分野だとそのことは「神はその人の中にある」と言われたりする。だから本当は、人は自らの力で立つことができるのだと思う。

でも、僕たちは自分の常識で推し量って「正しそうな解」を弱い立場の人に押し付けてしまうことがある。

強い立場の人は、大抵わかりやすくすっきりしている。
弱い立場の人は、迷い、葛藤している。

でも、こと支援ということにおいては、迷い、葛藤する弱さのほうが大事なんじゃないかと思う。相手の人生のことなんてわかりっこないし、答えなんかあってないようなものなのだから。

「いっしょに悩めたらよかったのにね」

語ってくれた人に、僕はそう言った。
「本当にそうですね」とその人は悲しそうにこたえた。

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