仕事2

なんのために仕事をしているのか。

最近、つい先週くらいのことだろうか。

急に「自分はこのために仕事をしていたのか」ということがわかった。

自営業をはじめて四年、会社員として仕事をはじめてから数えると、二十年近く経っての発見である。

自分の仕事を整理する。

きっかけは、この図だった。

ぼくは、人の話をきき、そこから曲をつくる『あなたのうた』という仕事をしている。

ライフワークであるこの仕事が「きく」「つくる」「うたう」という三つの要素に分けられること、そして、㐧二音楽室のほかの仕事が、この三つに対応していることに気が付いた。

15分語ってもらったことを録音し、文字起こしにして、ていねいに読んでいく『「あなたの時間」に起きたこと。』

は「きくこと」の愉しさや深みを分かち合いたくてはじめた仕事だし、

なにげないハナウタから曲ができていくまでを伴奏する『作曲事始』

では、曲というかたちにすることで「つくる」人の思わぬ一面が表現されるのを目撃している。

そして『歌い手冥利』

は、その名のとおり、多くの人の中に潜在する「うたう」気持ちにふれ、その歌い手人生の入口になれたらと思って手がけている仕事だ。

意識したわけではないのに、自分の仕事がこんなふうにきれいに整理ができて「ああ、過不足なくやっているんだな」と満足した。

ぼくはいままで、ああでもない、こうでもないと本当にいろんなことをしてきた。新しいことを考えるのも試すのも好きだから、この傾向は今後も続くかもしれないけれど「過不足ない」とわかって、なんだかホッとした。

けれど、そこでは止まらなかった。
考えは「では、なぜこの四つなんだろう?」ということに進んでいった。

世界の呼吸をふかくすること。

きく人をふやしたい。はなす人をふやしたい。

改めて考えてみると、ぼくのしている仕事には、そういう願いがこめられているんだな、と思った。

そして、きく人、はなす人をふやすことは、師、橋本久仁彦さんの言葉を借りれば、こういうことだ。

橋本 「話す」って、一言一言が呼吸です。だから僕が話せるというのは呼吸ができることであって、もし相手が僕の心の底まできいてくれるなら、僕はこの呼吸を心の底からできていることになる。喋れるというのは、音にのせて息ができるようになっていくわけです。

(略)

息ができる相手のところに人も集まるし、ディズニー映画のバンビとかジャングルブックとか、森の動物も集まって来るじゃないですか。それは、そこにいると息ができるからだ。それが「話す」ということで、日本語では息ができるそのことを「生きる」と呼ぶんじゃないですかね。
もう一つ「話す」というのは「手ばなす」ことだと思います。心や身体の中で滞っているものが、話す場をもらうことでどんどん放されていく。すると楽になって。さっきまで「他人の話なんかききたくない」と思っていたのに、放して空っぽになったら、きけている自分がいるんだね。

なので、きくトレーニングというのはいらんなぁと思っていて。「話す」ことをさしてもらえれば、次、自動的に「きく」になる。だからこれも呼吸だね。いっぱい吐いたら次は吸いたい。そういう相互作用なんだと思います。

(以上は、西村佳哲さんの著書『一緒に冒険をする』の中の橋本久仁彦さんのインタビューより抜粋)

きく人、はなす人がふえることは、呼吸ができるようになること。

すこし気どって「世界の呼吸をふかくしたい」なんて書いたけれど、きく人、はなす人がふえると、そのぐらいのことが起きると本気で思っている。

お金と呼吸。

仕事とその意義が整理できて、ひと通り考えは収束したかに思えたけれど、ぼくはこの図にどうしても一行足したかった。

「お金でいやな思いをする人をへらしたい」

これまでのどの話ともつながっていないけれど、これはぼくにとって大事なことに思えている。

ぼくが自営業をはじめたのは、結婚したのと同時期だ。
以来、四年間、それまで無頓着だったお金のことを強く意識するようになった。というか、せざるを得なくなった。

そこには、怒りや不安、不自由や落ち込みがあった。そして、絶望感、無力感。ぼく自身、自尊心を何度も挫かれるような出来事があった。

価値を交換するためのもの、「うれしい」「ありがとう」を共有するためのもののはずなのに、お金のまわりはとても苦しく、大変だった。

また、お金を意識することは、父を意識することでもあった。

父、そしてその向こうにいる祖父のことが、お金を意識することで浮かび上がってきた。そこを掘り起こしていくことは、ぼく自身にとって大事な作業に思えた。

いまも生活費ギリギリの運営をしているから、お金についてえらそうなことは言えない。けれど、もしもぼくの仕事に呼吸をふかくする願いがこめられているとしたら、お金によって窒息するような思いをしないこともやはり願いとして込められているのだと思う。強く。

そうして、この図が完成した。
これは、いわゆる企業理念とか使命にあたるものかもしれない。
起業の本なんかだと最初に考えましょうなんて書いてあるけれど、ぼくの場合は、ずいぶん遅まきにやってきたわけだ。

ちなみにこのアイデアは、冒頭に書いたとおり、先週くらいにあったのだけれど、すぐに発信する気になれずに今日に至った。

夏休みが終わり、9月がはじまる今日の日に、このことを書くことになったのだなあと、いまはなんだか納得している。

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