ある夏の日のスケッチ。2
墓地が好きだな、と思った。
今日、浜松は小雨。
最近、なんとなく疲れている気がして、気分転換したいと思っていた。
とはいえ、パァッと派手なことをするよりも、墓地で元気になったのは驚きだった。
遊園地より神社よりお墓。
僕は適度な暗さの中で、生命力が増すタイプなのかもしれない。
父と次男坊の叔父と母と四人で、祖父母と昨年亡くなった叔父(三男)のお墓参りにきた。
昨年の叔父の葬儀からもうすぐ一年。
プライベートでいろいろあったせいか、僕の記憶では、ずいぶん昔のことに感じられた。
浜松には「さわやか」というハンバーグ屋さんがあって、墓参りのあと、そこに行くのも楽しみだった。今日も肉汁のたっぷり詰まったハンバーグをホクホクと食べた。
そんなことを言っている僕は、思いっきり「生」にしがみついているわけだけれど、七十代を迎えようとしている両親と叔父は、足が痛む、力が入らなくなった、と体の変化の話をするようになっていた。
「まるでおじいさんみたいだ」と思った。
そんな話を「お父さん」や「お母さん」がするのは不思議な感じがした。
入学にせよ、受験にせよ、就職にせよ、物事は順番にやってくる。
歳をとった人は例外なく体の話をするのだ。
僕は案外ふつうにその話を聞いていることに気づいた。
昔、小学生くらいの頃だろうか。二段ベッドの上の段で(下には妹が寝ていた)眠る前に両親が死ぬことを想像して泣いたことがある。
それから数度、中学生になってからも、僕は同じように泣いた。
僕にとって親がいなくなることは、とても怖いことだった。
なぜか、自分が死ぬことよりも怖かった。
でも、いま、両親がする体の話をふつうに聞けるように、やがて彼らがいなくなる日もそれほど混乱せずに迎えられるのかもしれない。
ふと、そんな気がした。
父も母も僕も、時の針を進めながら、人生を通してその準備をしてきているのだから。
今日、愛読している「ほぼ日」(ほぼ日刊イトイ新聞)で『岩田さんの本をつくる』という連載を読んだ。
ちょうど四年前の今日、7月11日に、当時、任天堂の代表取締役社長だった岩田聡さんが亡くなられたのだった。
亡くなったあと、人はどんなふうにされるとうれしいんだろう、と考えることがある。すっかり忘れてしまった方がいいのか。悲しみや申し訳なさとともに憶えているのがいいのか。
正解は、もちろんわかりようもない。
でもこの連載は、ひとつの答えを示しているように思えた。
さみしさと明るさが、ちょうどいい感じがした。
会ったことはないけれど「岩田さん」はいやな顔はしないように思えた。
それに感化されたこともあって「さわやか」でハンバーグを食べたあと、亡くなった叔父の話を振ってみた。
「岩田さん」とちがって、芳しい反応はなかった。
本が書けるほど叔父を知っている人も、いないように思えた。
「早かったですね」と僕は言った。
「早かったなあ」と叔父(次男)は言った。
叔父の眠るお墓には、こんな和歌が添えられていた。
奇しくも今年の5月、名古屋の西念寺で開いた『敬意と尊厳』で知った和歌だった。
本に書かれる人にも、そうでない人にも、月影はとどいている。
お墓にいるときの暗い光の安らかさは、月影に似ているのかもしれない。
そして、それは「きくこと」の師匠、橋本久仁彦さんといるときの感じにも似ていた。
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