行動するっていいこと?
「行動することが全て」
「行動出来る人は素晴らしい」
「あの人は行動していないからダメだ」
最近、このフレーズをよく聞く
行動することが正義と語られる日本社会
すぐ物事を善・悪に分ける日本文化
そして、その価値観を他者に押し付ける日本文化
これは誰の価値観なんだろう
「誰」が「誰」のために、そして「何故」行動することの正義を主張しているのか少し考えてみた
私がこの言葉が嫌いな理由
「行動することが全て」
私がこの言葉を嫌う理由はひとつ
それは、この言説が私を含む行動しない全ての人間を「ダメ者」にしたてあげ、社会を生きづらいものにしている現状があるからだ
行動する人と、しない人 (WILL)
行動できる人と、できない人(CAN)
この境界が生きづらさを生み出し、無意識的に行動しない人に行動することを促す/行動しないことを非難することに繋がる
行動することはいいことなのだろうか
「行動したい人」が、行動することはいいことだと思う。自分の興味や能力、夢、価値観など新たな発見や気づきがあるのも理解の範囲である
そもそも、私たちが行動してる人に惹かれるのは「行動しているという事実」ではなく、自分の好きなことに夢中になっている様や、想いの強さから生まれるものだと考える
しかし、行動至上主義者たちは、何故自分以外の他者にまでその価値観を押し付けようとするのだろうか
自分の存在理由が保証される
価値観を押し付ける/無意識的に押し付ける人は「行動することが素晴らしい」という価値観を社会規範にしたいという思いがある
なぜなら、それが規範になることで、自分の行動の正統性を主張することができる
つまり、自分のやっていること(行動)・考え方(価値観)が社会的に正統化される
そして、ある社会・文化における自分の「役割」と「空間」が保証されるのである
換言すると、自分という存在、そしてその存在理由が社会において保証されることを意味する
これは何を意味するか
これは、現在の日本がこのような価値観を主張しないと、自分の存在価値/理由に自信が持てない社会であることを意味している
心が満たされていない様があからさまである
本当にこの価値観が広まることが自分の存在を保証するのか?
保証しない
なぜなら、1つめは行動の定義問題が発生するからだ
行動には量的、質的、種類、方向性(自に向けられたものか、あるいは他に向けられたものか)など定義の仕方が広範に及ぶ
2つめに、「人間」または「資本主義経済システムに生きる人間」の「競争原理」に基づく問題が発生するからだ
行動至上主義者たちは、より行動できた人が、よりよい人間であるという文化を自ら生み出すだろう
いつまでも日本社会は心が満たされない、世界幸福度ランキングで50位前後を彷徨い続けることになる
克服するためには
克服することは簡単ではない
しかし、解決法はシンプルなものだと考える
それは「自分の価値観を自分以外の他者に押し付けないことである」
環境に流されるように生きる
換言すると「自然」に身を任せることである
自然に身を任せるとは、自分の感情やその時の環境に身を任せることである
行動したい/できる人はすればいい
行動したくない/できない人はしなければいい
お互いの自然を尊敬し、互いに干渉しない
自分と自分以外の他者は違う価値観を持っていることを認識し、その違いを尊敬すること。両者の間には「自 - 他」という違いが存在してることを認識すること
これが私が思う解決法だと思う
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