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「a piece of cake!」

今期も期末を迎え、今のカイシャで丸3年働いた。世間一般的に言われる「3年は働きましょう」と言われる期間を。(私としては期間はどっちでもいいんすけど)良い機会だったので、思い出しながらお風呂につかっていた。すると、ふと昔のことを思い出した。

新しい世界が何か見えた、扉がバンっと開くようなあの体験。たぶん、私の中での原体験はこれなんやと思う。

・・・知らんけど。


中学2年生、英語の中間テスト。それまで英語はそこまで得意ではなかった。テストの点数は80点は超えるけど、社会や理科、数学のほうが得意だった。暗記というか、答えが1つしかないことのほうが、理解しやすかったし、納得がいった。承久の乱は1221年にしか起こらないし、三角形の内角の和はどうあがいたって180°にしかならない。なんて気持ちがイイのだろうと、当時は思っていた。

そこには、確固たる答えがある。逆に答えが間違っている=自分の考え方や理論?が間違っているとはっきりわかったから、好きだった。・・・あの問題に出会うまでは。笑

どんな問題かというと

問:次の長文を読んで、文脈から○○に入る語句は何か推測して答えよ。

”IGIRISU” is ○○ English.

長文の内容ははっきり覚えていないけど、ずっとイギリスのことをUKと言っていたり、ノートパソコンやシャープペンシルは英語ではなく、海外では伝わらないという内容だった気がする。

だから、○○に入る模範解答は「not」だった。そう、”IGIRISU” is not English.イギリスは(カタカナで書いてあるが)英語ではない。上にあるように、イギリスはUKと表現したり、EnglandやWalesというように地域によって言い方が分かれるらしい。(サッカー好きの方だと当たり前かもすけど)

で、その問題のみ間違えて98点。初めて100点を取れたと思った自信ありのテストだっただけに、めちゃくちゃ悔しくて、当時の英語の先生に講義に行った。

「私の答えでも正解じゃないんすか!?(100点を獲りたいがために)」

答え:”IGIRISU” is Japanese English. =イギリスは和製英語である

先生はちょっと考え、

「確かに、それも正解やな・・!言う言う。うん、それ言うわ。言葉ってな、生き物やねん。色んな考え方や捉え方があってな、答えは一個ではないねん。そこに気づいたYOSSYはええ感性やな」

「例えばな、『a piece of cake』て和訳したら、ひとかけらのケーキやろ?でもな、Thank youの後の返事、『You're welcome』『No problem』とかと同じように使うときもあるねん。『ひとかけらのケーキを食べるくらい簡単なこと、おやすいごようですよ』って意味にもなるねん、おもろいやろ?まぁ、とりあえず、正解や!100点おめでとう!」って。

この時、ばこーーんって自分の中で何か、世界が開いたような気がした。(正直100点獲れたこととか、そのときは全然気になってなかった。)

正解がナンボでもあるって、どうゆうことなんすかって・・・。自分の凝り固まった、(ある種)正義・絶対となっていた思い込みが、何か壊れた気がした。

せやんな、せやんな、このパターンもあるし、このパターンもある。可能性としては少ないかもやけど、0ではない。これもそう、あれもそう。確固たる正解があることもあるけど、それは歴史(過去)・文法=事実・ルールやから、そらそう。むしろ答えがいくつもあると混乱すしてしまう。でも、その場の会話や言葉には色々解釈があるやんな。それを一概に、同じにしろ、1個だけっていうのには無理があるよな。色々あることが大前提なんやねん。まずそこから、スタートなんやねん、って。


そこからの英語に対する興味関心はめちゃくちゃ強くなった。この表現方法の他に言い換えはないか?現地の人はどういう表現をするのだろうか??っていう風に。単語をたくさん覚えたし、文法よりも会話形式のほうをたくさん勉強した(もしかしたら、中二病かもしれないすね笑)。

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その後、色々経験(これも後にnoteに書こうと思う)して、人事の仕事をしたいって強く感じ、今がある。

「答えは一つじゃない。正解はなく、成解はある。」ということに気づけたことが、私の原体験になるのかなって思っているんすよね。

今もその想いは強く、

同じことを一律にしていくことがいいのか?これまでの慣習をただやっていくことが本当にいいのか?(英語の先生のように)何か他の答えでも解はないかと模範・常識を疑い、可能性を模索できないか?

目の前の人、チーム、組織、カイシャ、世の中のために、「人」・「働く」というワードを通じて、何かできないか?

正しい解ではなく、成る解を一緒に見つけることはできないか?

と。


---余談---

当時の英語の先生は27歳くらい。大阪外国語大学出身、正規留学も何年か行っていて、発音とかもバリバリのネイティヴレベル人だった。関西人でノリも良く、カッコつけたがり。でも、めちゃくちゃ好きな先生。

卒業式のときに、「あの時の先生からの言葉で、英語に対する価値感が広がり、思い込みがなくなりました、ありがとうございました!」って言ったら、「a piece of cake!」って。いやー、わかってるなぁ、そのノリ。

この人無くしては今の私はいないなーって思っている。

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