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文脈とは何か?

文脈とは何か?

それは、価値が生成される過程の物語のことだ。人は、物語を必要としている。なぜなら、物語の真贋なら鑑定しやすいからだ。それゆえ、ものごとを見極めるとき、文脈を必要とする。

文脈に則った作品は、価値を認めやすい。例えば、モナ・リザという作品がある。モナ・リザは、イタリアを追われたレオナルド・ダ・ヴィンチがフランス王に招かれ、その地で亡くなったため、フランスの所有物としてルーブル美術館に所蔵されることになった。つまり、ダ・ヴィンチやモナ・リザの価値をイタリア人は見抜けなかったが、フランス人はちゃんと見抜けていた――という「文脈」がそこにある。だからモナ・リザは、単なる絵画を超えて、フランス人の誇りとなっている。誰もが、その価値を認めないわけにはいかないのだ。

また、文脈に則った作品は後世に残るということもある。時間の強度に耐える。ピカソの用いたキュビズムという手法は、一見しただけでは意味が分からないが、「立体を平面で表現しようとした試み」という文脈が理解できると、とたんに面白く感じられるようになる。

そして人は、最初は理解できないがやがて理解できるようになる――というものを長く愛する。納豆のように、「最初は嫌いだったが後から好きになった」というものは、一旦好きになると、もう二度と嫌いになるということがない。

なぜかといえば、人は自分の中で評価が上昇したものに対して、「この後、もっと好きになれるのではないか」という期待を抱くようになる。だから、長くつき合うようになる。そして、そういう期待を抱かせるものこそ文脈である。だから、コンテンツの命を長引かせるという意味でも、文脈はとても重要なのだ。

あるいは、文脈はコンテンツの奥行きを深める。さまざまな楽しみ方ができるようにする。例えば、宮崎駿の「となりトトロ」という作品がある。この作品における「トトロ」とは何者か? それは「縄文人」である。宮崎駿は、「となりのトトロ」においては縄文人をテーマに映画を作った。

なぜ縄文人をテーマに映画を作ったのか? それは、現代文明に絶望を感じた宮崎駿とその盟友・高畑勲が、日本民族の源流を辿ってそこに希望を見出そうとした。このとき、高畑が農村即ち弥生時代に希望を見出したのに対し、宮崎は縄文時代すなわち狩猟採集社会に希望を見出す。そうして、後に農村に希望を見出した現代人を描く「おもひでぽろぽろ」を作った高畑勲に対するアンチテーゼとして、縄文人を主人公にした「となりのトトロ」を作ったのだ。

そういう文脈を知ることによって、最初に見たときとは全く違った見方ができるようになる。ただ単に見るだけでも十分面白いのに、また違った見方でも面白がれるようになるのだ。そうなると、ますます価値を感じられるようになる。そのコンテンツの奥行きが深まるのだ。

これらの意味で、文脈はとても大切なのである。だから、コンテンツを作る際には、それを支える文脈も同時に作らなければならない。ただ作品を作るというだけでは、価値を認められにくいし、時間の経過にも耐えられないし、深みも生まれない。

では、どうすれば文脈を作れるのか?

このnote及びマガジン「文脈ノート」では、そのことをテーマに記事を書いていく。ぼくがこれまで培ってきた知識や経験を、みなさんにお伝えしていきたい。

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