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本当に怖いモラルハラスメント

今日はモラルハラスメントが本当に怖いという話をしたい。本当「は」ではなく本当「に」である。というのも、モラルハラスメントはすでに多くの人が怖いと思っているだろう。しかし、実は多くの人が思う以上に、モラルハラスメントは怖いのである。だから、本当「に」という話なのだ。

何が怖いかというと、それはモラルハラスメントに接しても、多くの人は気づかないということだ。実はぼくも最近まで気づかなかった。しかし、最近になってようやくそれが分かってきた。そこでここでは、そんな分かりづらいモラルハラスメントをなるべく分かりやすく解説してみたい。

まずは、今年の夏、夫が娘を連れて新幹線で帰省したら、車内でギャン泣きしたところを乗客に通報され、乗り込んできた警察官から取り調べを受けたというニュースがあった。これがモラルハラスメントである。それは、通報した人がではなく、通報された側がモラルハラスメントなのだ。

これは本当に分かりにくいが、なるべく要点をかいつまんで説明したい。まず、この夫とその妻は、通報されたことに対しては「怒っていない」と述べている。それは、そういう通報するような世の中の方が安全だからというのだ。

あと、通報されたことに関しては、大多数の方は「仕方ないよね」という反応でしたね。
私たちも発信するときに、「これからは通報するのはやめよう」と思わせたくない、という気持ちがすごくありました。子どもを守るために、通報は必要。私たちの発信が通報することに対する変な抑止になることは避けたい、という思いでした。子どもの安全を守るために通報は必要ということを書いたら、かなり多くの人が同じ意見でした。

これは、一見正論に見える。しかしながら、ここには強い「抑圧された痕」がある。何に抑圧されたかというと、世間の良識だ。「子供はこうやって守るべき」という世間の目だ。

この父親は、本当は通報されて傷ついるはずである。だから、本当はそのことを素直に吐露した方がいい。しかし、世間の目があるから「通報されるのもやむなし」と、自分の感情を抑え込んでいる。そうして、自分自身でもそのことに気づけなくなっている。もはや世間の目が、心の奥深くまで浸食してしまっているからだ。

これは、幼い頃に親からモラハラを受けた結果だろう。親からのモラハラによって我慢を強いられ、自分を殺すことがすっかり習い性になってしまったのだ。そうして、自分の生理ではなく、押しつけられた規範で生きるようになってしまった。今も、自分を殺しながら生きている。

それの何が問題かというと、そういう人は必ず他者にもその規範を押しつけるからだ。そうして、他者の心を殺してしまう。そんなふうに、モラハラを拡散してしまう。

おそらく、この両親は子供の心を殺すだろう。いや、もうすでに殺しているかもしれない。新幹線で子供がギャン泣きしたのには、そのことが遠因としてあるのかもしれない。

この両親は、ともに子供の頃、モラルハラスメントを受けてきたのだと思う。そして、その連鎖として子供にもモラルハラスメントをしている。正論で縛りつけ、子供の心をないがしろにしている。

しかも、そのことに本人が気づかないばかりか、周りも気づかない。彼らの行為にはたくさんの「いいね」がつき、浴びるほどの賞賛が寄せられた。おかげで、彼らは自身のモラハラに自信を深め、ますますその行為にいそしむだろう。その結果、子供は活き活きとした人生を送れなくなり、また彼女に子供が生まれれば、モラハラが再生産される。そんなふうに、モラハラは伝染病のように拡散していく。それが本当に恐ろしいのだ。


また、こういうモラハラもあった。先日、はあちゅう氏が育児中にもかかわらず夫が飲み会から帰って来ないことの窮状をブログで世間に訴えかけた。

そこではあちゅう氏は、夫に理解を示しつつも(つまり怒るのではなく自分は社会規範に則っていることを示しつつ)、法律という新たな規範を作り、それで男性を縛るよう世間に訴えかけている。

そんなことは絶対に回避したいので
もはや飲酒運転ばりに、赤ちゃん持ちの父親の
夜23時以降の外出は法律で禁止してほしい。
そうすれば誰も傷つかない!!(T_T)

これはモラハラそのものである。モラハラは、自分が社会規範に則っていることをアピールしつつ、正論で相手の心を抑圧する行為のことだからだ。だから、その定義にぴったりと当てはまっている。

おそらく、はあちゅう氏もモラハラの被害者なのだろう。その結果、知らずのうちに加害者に転じてしまったのだ。


最後に、佐渡島庸平氏が、自身の息子が学校に行かなくなったことについて、ブログで述べている。

ここで佐渡島氏は、なんと息子のことを学校に相談し、校長先生の導きによって再び学校へ行かせるようにしてしまったのだ!

夏休みに入る直前、学校にはどうしても行けなくなり、教室に行く前の中継所として校長室に行くことになった。毎朝、僕と一緒に校長室に行き、3人で5分くらいのおしゃべりをする。話が終わるころには、息子が「教室に行ってみよう」と思えるようになる。

ここで佐渡島氏は、校長先生の導きを「感情労働」などと名づけ褒めそやしているが、なんということはない、行われていることはただの洗脳である。オウム真理教と一緒だ。子供の行きたくないという生理を殺し、正論で洗脳して「教室に行ってみよう」と無理矢理思わせている。

つまり、佐渡島氏は校長先生と結託し、自分の子供の心を殺している。ここでもモラハラが平然と行われ、しかもそれに大量に「いいね」がついている(2019年10月25日時点で401個)という地獄絵図である。


そんなふうに、モラハラは本当に怖い。モラハラは、ぼくもこれまで知らずのうちにしてきただろうし、みなさんもしてきたかもしれない。もちろん、されたこともあるだろう。モラハラされたことのない人は、日本にいないのではないだろうか。

そして、このモラハラが、日本が停滞していることの大きな要因としてあるのではないだろうか。この問題は、潜在しているからこそ気づきにくく、その分長期にわたって蔓延した。その結果、今では日本国中に広まることとなってしまったのだ。

しかし、最近になってその問題が徐々に顕在化してきた。ぼくも、ようやくそれに気づくことができた。おそらく、これから解決が図られていくのではないだろうか。そんなふうに、ぼくは楽観的にも考えたりしている。

この記事は、もしかしたら多くの人に理解されず、炎上するかも知れない。しかし、これをきっかけにモラハラの本当の怖さについて知ってくれる人が増えてくれることを願っている。だからあえて書いた。

ここに取り上げた方たちに、ぼくは悪意はない。なぜなら、彼らもモラハラの被害者だからだ。しかし、今は加害者になってしまっている。まずは、その加害をやめてもらうことを、心から祈りたい。

そうすることが、彼ら自身も救われることである。モラハラの解決は、まずは自分がモラハラをしていると認識するところからしか始まらない。なぜなら、モラハラ加害者の根底には、必ず被害者だった過去があるからだ。そんな被害者だった過去の自分を癒やさなければモラハラは抑止できない。そしてそのためには、まずは前段として、自分が加害者であるということを認めなければならないのだ。

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