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2018年12月福島、猪との遭遇〜フレコンバッグと廃墟の町

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<続き>

現地の人の目の前で線量計をぶら下げて歩くことは勇気がいる。
前記事で出会ったおじさんから「何それ、線量計?」と聞かれたときは怒られると思った。
しかし実際に口をついて出たのは、誰かに聞いて欲しかったであろう、原発事故がもたらしたものに対する憤りと悲しみの声だった。自分の土地が事故から7年9ヶ月経っても3μSv/h以上汚染されていて、にも関わらず避難指示が解除され、除染も何もなされずに賠償や支援も打ち切られるのだから…

いたたまれない思いで道を引き返す。

(廃墟)

(家の前に無造作に置かれたフレコンバッグ)

(行き止まり。この向こうはパチンコ屋の廃墟)

国道6号線のゲートを見て、この反対側へ行こうとするが、歩道もない道を大型ダンプが高速で走り抜けるため非常に危険。そのため、来た道を戻ることにした。

葬祭場手前のフレコンバッグが大量に置かれていた平屋の住宅付近でイノシシと遭遇。
道路の向こうとこちらで、距離は10mもなかったはず。過剰に反応するとよくないと思い、気配を消して何事もなかったかのように通り過ぎた。振り返ると、僕が通ってきたルートにイノシシはやってきていた。

二頭のうり坊を連れ、カメラを向けると母イノシシはこちらを睨んだ。すぐに撮影を終え、振り返って足早にその場を去る。

昼の2時からイノシシと遭遇するなんて思ってもいなかった。命の危険を感じる避難指示解除。
バカじゃないか。ここに住めよ、官僚と政治家の皆さん。
ついでに言うならば、イノシシと遭遇した場所は、あの「“放射能安全”覆面漫画家」竜田一人と仲良しの北川なんとかって場末の歌手がよく流しをやってる喫茶店と100m程度しか離れていない。イノシシと仲良くライブをやったらどうだい?

半分心折れて、役場に行く予定を変更し富岡町内方面へ6号線を歩いて向かうことにした。

(環境省WBC?)

(「復興した福島」のそこかしこにある廃墟)

(町中を抜け富岡高校へ向かおう)

(富岡川。美しい風景)

(東京電力浜通り電力所)

美しい空をバックにそびえ立つ東京電力浜通り電力所。浜通りの空は、とにかく青かった。

(東電の事業所にこのポスター。バカにしてんのか)

さくらモールとみおかでは子供をよく見かけるが、ここで遊ばせる親はいるのだろうか。

モニタリングポストの値はこの数値。自治体によっては、地表から5cmで0.23μSv/hを超えた場合立ち入り禁止で除染となる。

(小さな神社が佇んでいた)

(フレコンバッグはどこにでもある)

集団のサイクリストが走り去っていった。彼らはどこから来たのだろう。少し話してみたいと思った。

町には廃墟とフレコンバッグが溢れている。避難指示解除された場所で「復興マラソン」「復興駅伝」「復興サッカー」「復興祭り」と馬鹿の一つ覚えのように「復興」イベントが催されるが、イベント会場をちょっと出れば、マラソンコースなどには廃墟とフレコンバッグが溢れている。それを見て本当に「福島は復興した」と思う人は、一体何人いるのだろうか。

イベントにだけ顔を出して「復興!」と叫ぶ馬鹿はいるかもしれないが、実際にそこで生活しながらドブさらいをしているおじさんは、「この町を1人で歩くな、マスクと手袋はしろ」と言うのだ。

<続く>

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