見出し画像

2018年12月福島、富岡町〜いわきで呑む

注:「有料」とありますが、基本的に全て無料で見れます。取材や制作活動を支援したいと思った場合に、投げ銭をお願いします。

・・・・・・・・・・

<続き>

さくらモールとみおかを目指して歩き出しても、しばらくは人気もなくとても静か。
この日は土曜日だったのでまだマシな方。日曜日はさらに作業員やトラックが減り、ほとんど人がいなくなる。
駅前の復興公営住宅も、見た限り空いている家ばかりだ。
統計では3〜10%程度は人が戻ったかのように行政は発表しているが、実際、そのうちの半数は移住者。元々住んでいて戻った人は非常に少ない。さくらモールとみおかで小さい子供を連れて歩いている親子は、そのほとんどは元々の居住者の子や孫ではなく、移住者だ。「安全ですよ」という国のプロパガンダを信じ、復興に貢献したいと崇高な理念を抱いて移住した者もいれば、ただ単に高収入が目当てで来た人もいる。その選択が正しかったどうかは、時間が判断する。

(ここでも解体中の家屋にフレコンバッグ)

(家屋とフレコンバッグのセットはいつも痛々しい)

(荒れたガソリンスタンド。当時のまま)

(回転寿司アトムはまだあった)

(店内もそのまま)

(店の外では綺麗な花が咲いている。店内には朽ちた花が今も残る)

旧東電PR館は廃炉資料館になった。反省をアピールするが、こんなことに金を使ってADRに応じない時点で反省していない。
10月の訪問では、今も帰還困難区域の大熊町に実家があるという東電社員の女性が働いていた。「廃炉資料館」に対してどのような感情を抱いているのだろう。現地には、賛成反対だけで割り切れない、複雑な感情が渦巻いている。

(夕陽がきれいだった)

思ったより歩けなかったけど、ハプニングの多かった1日目。いわきへ戻ることにする。

(駅へ向かう道でもフレコンバッグの山が目につく)

(帰りも特急車両)

いわき駅はイルミネーションで彩られていた。電光掲示板には市議会ニュースが流れ、「復興した本市を見てもらうために、東京五輪の聖火リレーを誘致…」と書かれている。避難者はもういないかのようだ。

ホテルにチェックインを済ませ、これまで何度か訪れている赤ひょうたんへ。前回訪れたスプーンさんに顔を出そうとも思ったが、この日は誰とも話さずに1人で呑みたかった。それだけ心を折られていた。賑やかな店の方が1人になれる。

(串焼き盛り合わせ)

(あんこうのとも煮。初めて食べた。酢味噌にあん肝が練りこんであるそうな)

(めひかり唐揚げ)

(ここに来るのは4回目か)

僕は放射能に対して警戒心はあるが、それでも福島を訪れた時は福島のものを食べる。昔から旅ではそうすると決めているからだ。僕はもう40代半ばだし、これから子供を作る予定もない。少々内部被曝したところで気にならないし、健康を害したとしても自分の身体で実験をする程度にしか考えていない。しかし、奥さんとうちの犬は浜通りには連れてこないと決めている。いわきでさえも土壌汚染は酷く、放射線管理区域を超えるレベルだからだ。

常磐ものは美味しい。そんな美味しい福島の地物を汚染してしまった福島第一原発、東京電力。風評被害を殊更強調して騒ぐことは、問題を生産者と消費者の対立にすり替え、真の加害者を見えなくさせる姑息な手段でしかない。一時さかんに「デマ撲滅」が騒がれたが、噂のファクトチェックサイトの崩壊や早野東大名誉教授の不正論文など、潮目は変わりつつある。真の加害者が誰なのかを明白にした上で、これが被害者(避難者)の救済に繋がっていけばと思う。

(七十郎)

(ささまさむね)

けっこう酔った。心の中が整理できぬまま、とりあえず酔ってごまかした感じだった。
明日は浪江へ行く。

<続く>

ここから先は

0字

¥ 100

サポートしていただけると大変ありがたいです。いただいたサポートは今後の取材活動や制作活動等に使わせていただきます。よろしくお願いします!