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2018年12月福島、フレコンバッグに占拠された田畑

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<続き>

しかし、この富岡町総合スポーツセンターは不思議な空間だ。
解体を待つかのような団地が立つ傍で、おそらくスポーツセンターは一部再開している。

サッカーグラウンドもしっかりと整備されている。芝の状態は素人目には素晴らしい。

しかし空間線量はこの値。地表面となるとさらに上がるだろう。ここで自分の子供にサッカーをさせるか否かは、あなた次第。

場所によっては平気で1μSv/hを超える。これで避難指示解除。

(高台を降りることにする)

(満開神社。この地面の感じは…除染した?)

(葬祭場ではなく、右側の帰還困難区域ゲート方面を目指す)

(住宅の前にフレコンバッグの山)

(荒廃している)

(葬祭場を確認。綺麗に見えるが、よく見るとわかるが、廃墟だ)

帰還困難区域ゲート前のおじさんに、海に行けるか声をかけてみる。
「あっち行って左曲がってずーーーっと行けば海に行けるよ」
いやわからないw
右折した先は行き止まりだと言われたが、フレコンの山が見えたので、あえてそっちへ行ってみる。
ここは昨年11月に写真家Nさんらと来た場所だ。

(雑木林の前で急に空間線量が上がった)

(空間線量はさらに上がり、3μSv/hを超えた)

(まさにここは境界だ)

夜ノ森方面の帰還困難区域との境界は0.6マイクロ程度だったと記憶しているが、ここは背後に雑木林があるせいか非常に線量が高い。常に1〜2μSv/hはある。雑木林手前の避難指示解除された場所には何軒も家があるにもかかわらずだ。
僕は思わず息を呑み、マスクをした。富岡は空間線量がもっと下がっているイメージがあっただけに、驚いた。

(なんとも禍々しい)

(グリーンのシートでごまかす)

(去年11月にも来た、ビューティーサロンWink)

帰還困難区域のゲートにぶつかり、当然の如く「ここから先は許可がないと入れません」と言われる。
「どこ出身ですか?」と聞くと、それは個人情報で…と答えを渋られた。
フレコン置き場はまだ空きがあるので、「ここにはこれからもっとたくさん運ばれるんでしょうか」と聞けば「つい最近この仕事を始めたばかりで…」という。
この人は、ここに流れ着いたという表現が正しいかもしれない。人の良さそうな不器用な感じのおじさんだった。

空間線量が3マイクロを超えた雑木林の前を引き返す途中、ドブさらいをしてたおじさんに声をかけられる。

「写真撮りにきたの?」
「絵を描くための取材で…」
「何それ、線量計?そんなに高くないだろ?0.3くらいか?」
「今、1.6マイクロですね」
「そうか。あっちは(フレコン置き場)俺の田んぼだった。帰還困難区域だけど、あっちよりこっちの雑木林の方が線量高いんだ。この林の奥に俺の実家があんだけど、みんな出て行っちまった。あんたどこから来たの?」
「埼玉です」
「埼玉か…俺の息子は埼玉の所沢に家を建てたよ。もうここには誰も帰って来ねえ。俺の家は俺の代で終わりだ。あんた一人で来たの?」
「はい、車もないんで駅から歩いて」
「この前も取材だって人が写真撮りに来てたけどな、二人で来てた。ダメだよ、こんなとこ1人で来たら。イノシシだって出るし、何が起きるかわかんねーんだから」
「ああ…暗くなったら気をつけないとだめですね」
「あと、マスクはしてっけど、手袋もしないとダメだよ。ここは高いんだから」
「はい」
「俺は原発で働いてたんだ。30年くらいになるかな。女川も行ったし福井だって新潟だって、いろんなところでやってたんだ。でもあの頃は、原発がこんなことになるなんて思いもしなかった。もうこうなったらお終いだよ」
「なんと言っていいか…」
「これから駅に戻るんか? 近道教えてやろうか?」
「いや、これから役場方面に向かおうかと」
「ああ役場か。それもいい。俺の田んぼ、撮ってってくれ」

そんな会話をしたのち、今や荒廃してしまった田んぼを撮影した。

この場所は昔、おじさんにとって大切な田んぼだった。通常、山の方から水を引いてくるが、この場所は標高が少し高い場所にあるため、水が来ないという。そのため、600万円かけて井戸を掘り、そこから出た水で米を作った。土を作り井戸を掘り、原発で働く傍ら、平和な老後を見据えて米作りをやってきた。しかしそれも全て、東電福島第一原発からばら撒かれた放射能によって壊されてしまった。

<続く>

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