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2019年4月富岡浪江取材 原発事故さえなければ

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<続き>

切ない思いを抱えながら、賑やかであったはずの場所へたどり着くと、そこには病院の廃墟が当時のまま残されていた。

まるで今も営業しているかのようだ。しかし中の様子は

あの日のままだった。

震災時の混乱を彷彿とさせる内部の様子に、カメラのシャッターを切らずにはいられなかった。ここは地震で被害を受けた様子はあまりみられず、原発事故がなければこんな廃墟になることはなかっただろう。

原発事故さえなければ。

(廃車)

(廃車。AE86)

ここにあったはずのグループホームの廃墟は取り壊されていた。個人的にはショックだった。かつてそこで働いていた介護士や、入居していた利用者は今どこで何をしているんだろう。

(ここもいずれは取り壊されるのだろうか)

未だ解体されずに残っている回転寿しアトムへ行くと、脇にあったはずの「富岡町交流サロン」がなくなっていた。

避難指示解除から時間も経ち、その役割は終えたということだろうか。別の場所へ移転しただけだとは思うが、そういうことがキッカケで“もやい”が解けてしまうことも多い。

(アトムの内部は相変わらず)

さくらモールとみおかで休憩をとったのち、17時過ぎの電車でいわきへ戻ることにする。

(富岡第一中学に再開の様子はない)

(朽ちていくバイク)

富岡駅。以前は駅前にびっしりと積み上げられていたフレコンバッグは、今ではこの塊を残すのみ。

薄皮のようなビニールを突き破り雑草が飛び出している。耐用年数わずか3年のフレコンバッグを、いつまで保存する気なのか。まさか3年を過ぎて別の袋に移し替えるなんてアホなことをするわけでもあるまいし。中間貯蔵施設の建設は全く追いついておらず、仮置場から仮置場へ、ひたすらたらい回されていく福島県民の“元”財産。

スーパーひたちに乗っていわきへ。

窓越しの夕焼け。美しい福島は汚染されてしまった。

程度の差こそあれ、汚染されたのは明らかな事実。健康被害があるとかないとか、論点はそこではない。汚染は汚染だ。

いわきに着いたあと、駅前のイトーヨーカドーへ。経費節減のため、この日はホテルで1人部屋で呑むことに。イトーヨーカドーの食品売り場なら少しは地のものが食べれるかと思い行ったが、やはり大手チェーンはどこも似たようなものだった。しかしセブン系とイオン系は、実は地酒が充実しており、それだけでもまだマシだ。

秋刀魚の梅煮くらいしか「らしいもの」は食べれてないけど、部屋呑みは意外と悪くなかった。冷えたお惣菜と福島の地酒に酔い、夜は更け行く…

2日目は5時に起きる予定。さっさと寝ることにする。

<続く>

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