書き重ねる:2020/11/24

同じことを毎日書く。そう簡単に書けるが、しかし「同じこと」を本当に毎日書けるのだろうか。

フリーハンドで線を描く。それだけで、もうこの世界に二つとない線を生み出してしまう。どうなぞっても、同じものを描こうとすることはできない。丁寧に線を追っても何も考えずに引いた勢いを再現することはできない。

「描く」という、線が描かれる前の何かだけは同じなのかもしれない。動きは違っても、書かれる形は違っても、もう二度と同じになれなくても、「描く」ことはまたできる。

むしろ、繰り返せないことを繰り返すことで「描く」ことに近づくことができる。初めの線は、ただの線かもしれない。何かを指し示す線かもしれない。何かをなぞった線かもしれない。初めは、線そのものに注意がいくが、何本も描いていると「描いている私」に気がつく。

「描く」ことは、私がしていることだ。私の動きから生まれることだ。そのとき、私が線を描いていたはずが、線によって「私」が立ち上がってくる。線を描くことで、線を忘れる。そして、描いている私が思い出される。

我を忘れるという言葉がある。その反対に、私が何をしているのか、何を生み出しているのか、何を描いているのかを忘れてしまう状態があると思うのだ。そのときに残るのが、私だとしてもおかしくはないと私は思う。そうやって、気がつく自分自身というものに、どこか落ち着く。

私が好きなことは書くことだから、書くことで書くことを忘れよう。同じことを書き続けているうちに、おそらくテーマも、文体も、言葉も消えていくだろう。その時が見たい。だから書き重ねている。

毎日同じタイトルで書いている。書いている。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!