二流先生雑録 第ニ話「欠け茶碗」

『二流先生雑録』

 この物語は二流先生こと二葉流(ふたば ながる)先生と編集者の村上くんが織り成すちょっと不思議なストーリーです。
 二流先生はオカルトが大好きでよく「曰くつき」のものを買って来ては自宅の倉庫に入れてコレクションしています。そんなものだらけの二流先生の周りでは不思議なことがよく起こります。
 ほら、また先生がなにやら事件に巻き込まれるようですよ……

第2話 欠け茶碗

 テレビの企画と言えば聞こえはいいが、実質コレクションを外に出して見せてくれということだ。偏屈で尊大な態度をとる先生がいい顔をするはずもない。

「村上くん、この不心得者共に言ってくれたまえ。私のコレクションは人様に見せて喜ばせるために集めてるんじゃないんだ、と。そういうのは博物館の仕事だろうに」
「まあまあ、先生。こうして頭を下げられることはないじゃないですか」
「村上くんが知らないだけで私は結構、頭を下げられているのだよ。ま、こうして追い返すのも忍びないしなあ、かと言ってなあ……」

 先生も有名になりたい欲はそこそこにあるようでしきりに、ああでもない、こうでもないと言い始めた。

「先生、お願いします。先生の持っているコレクションがあれば……」
「先生はそうやって人に見せびらかすのは嫌いですからねえ……」
「ううむ、でも手をついて頼んでいる人間にはそれなりの誠意をみせてやりたいのだよ、私としても」

 そう言って、倉庫の方に入りあれこれ物色し始めた。傍目から見るとガラクタも多いが、中には本当に押し付けられたような呪いの品もある。だから、ほとんどの人は恐ろしくて先生の倉庫には入れないのだ。しょっちゅう入るのは村上くんと先生くらいだろう。

「ああ、これならどうだ。欠け茶碗だ!いやあ、これは絶対に直らない茶碗として有名でね。とある筋から渡されたのだよ。気味が悪いだけで、特に何の変哲もない欠けた茶碗だよ」
「ええっ、それは呪われていませんか」
「まあ、死ぬような呪いでもあるまい。これを受け取ったのは、えーと、ラベルから察するに15年ほど前かな」
「それだけ経って先生が懲りてないんですから、きっと大丈夫でしょう」
「あのだね、君は……」
「先生は尊敬すべきだ、とか、編集なんだから、とかそういうのは聞き飽きましたよ」
「ぐむぅ……」

 テレビの交渉人は、欠けた茶碗をしげしげと見つめた後にこう言った。

「これはお借りしてもよろしいものなのでしょうか」
「ん、ああ。返してくれるならいいとも」
「修理に出したいのです。知り合いの職人の方がいらっしゃいまして……」
「矛と盾の問答を茶碗と職人でやるというのかね。あまり、気は進まないよ。もし直らなかったらということを考えてみたまえ。その職人さんをあざ笑う低俗な人間がいるだろう。世の中にとっては私のような人間……、つまりはだな、迷信を信じる人間の方が少ないのだよ」
「いいえ、いいえ、そのときにはお蔵入りにでも……」
「待て、その顔は知っている。私が没にした原稿を編集者に持っていく村上くんの顔そっくりだ」
「あの時は原稿が本当に落ちるかどうかの瀬戸際だったんですよ」
「私の名前が落ちる方が問題だとは思うけどね。それは置いておいてだ。もし修理に出すときにはその職人さんに迷惑がかからぬようにすること。これだけは約束していただきたい」

 二流先生は職人の方を「同じ物を作る人間」とみなしているらしく、かなり敬意を払っているようだ。もちろん、彼の愛用のパイプもオーダーメイドで職人の方に作ってもらったものだ。その分、値は張ったようだが。

「お約束いたします」
「頼むよ、テレビの面白くもない悪意にまみれた編集を見るのは少々骨が折れるからね。私は夕方までテレビをつけっぱなしで昼寝が出来る主婦のような生活は送っていないのだ」
「今の主婦なんて共働きでそんな暇はありませんよ。先生が言っているような専業主婦はお外でランチしていますよ。僕が暑い中、寒い中、原稿を持っているといつも喫茶店で高級そうな服に身を包んだご婦人が談笑していますからね」
「村上君、君には次からは違う道を通ることをお勧めするよ。それでは、くれぐれも職人の方に粗相のないように」
「はい、分かりました。スタッフ一同に伝えておきます」

 男はそのままニコニコとした顔で社に帰り、企画案を出し打ち合わせを行い、数日後、企画が通りました、と手に菓子折りを持ってやってきて、そのまま二流先生に茶碗を借りて職人の家へと急いだ。
 職人の名前は伏せておくことにして、とにかく昔気質で頑固な職人で有名だった。技のためなら家族も泣かす。事実、彼は40代後半で妻と小学生の子どもが3人いる。子どもも遅くに出来た子ならばかわいいはずだが、彼にはそんなことは関係なく、ただひたすらに焼物に打ち込んでいた。
 以前ならばテレビの取材もたたき出していたが、彼も不景気のあおりを受けていた。客は金を出し渋り、もらった賞の威光は消え失せていた。体はもう言うことを聞くような年でもなくなり、無茶をすると寝込むような風邪をひくようになった。そんな中で家族を養うために苦渋の決断をしてテレビ局のスタッフを中に入れた。

「それで、こちらなんですけど……」
「なんだ、これは。ただの欠けた茶碗じゃねえか。これを俺に直せと」
「はい。実は、これは曰くつきの茶碗でですね。直しても直しても直らないらしいんですよ」
「今の世の中、そんな不思議なことがあってたまるか。いいか、お蔵入りとかになっても金自体は払ってもらうからな!」

 怒気のこもった声に現場の空気はひりついた。ここはまだ彼の家のリビング。ここから工房に移ったとしたら、現場の空気はさらに悪くなるだろう。スタッフは全員企画した人間を恨みながら工房へと向かうことになった。

「線が邪魔だ!それくらい気が使えねえのか!」
「お前ら全員、動くな。受けているのはお前らの仕事だけじゃねえんだ。その辺にあるのは注文の品だからな!1つでも割ったら一緒にお客の所まで頭下げに行ってもらうぞ!」
「おい、うるせえ!気が散るだろうが!」

 怒号が飛ぶ。撮れ高やこの後のインタビューの確認もできやしない。新人ADがカンペを出そうとすると目障りだ、と怒鳴り飛ばされる。彼らは自分の仕事すら満足に出来はしない環境に追い込まれていた。
 職人から出る汗の湯気が、工房内に充満し始めている。それを必死にカメラのズーム機能で撮影しながらだと、音声はほとんどとれていないだろう。しかし、彼の作品は視覚に訴えかけていた。ヒビが彼の作業によって全く見えなくなり継ぎ目もまるで元からその茶碗にあったかのように美しく埋まっている。
 すごい、との声も発することも出来ない現場でただただ職人が戦っていた。カメラマンはハンディタイプのカメラに持ち替え、マイクも小さい物に差し替えられた。それほどまでに職人の手つきと顔つきがスタッフを邪魔者にした。

「できたな」
 職人の声が現場の空気を変える。ようやく、スタッフたちの地獄のような時間が終わりを告げた。
「それでは……」
「今すぐに持ち帰させるようにしたいのは山々だが、一応今晩だけ様子を見る事にする。後、きちんとカメラで茶碗を映しておけよ。絶対に欠けないように仕上げたからな」
職人の眉間にしわが寄っている。いちゃもんをつけるな、茶々を入れた編集をするな、そういう意味が言外に含まれていることがありありと分かった。

「なんだ、これはぁ!!」
激烈な声が職人の家の朝に響く。子どもたちと妻が慌てて彼の元へ急ぐ。
「どうかしたんですか」
「これを見ろ!」
彼の指差す先にはひどく欠けた茶碗があった。あれだけの熱意、時間、労力をかけた茶碗が欠けているのだ。彼の性格上、これで激発しない訳が無い。
「お前ら工房に入ったか!」
怒声と共に幼い子ども達を睨みつけて尋問する。これは教育ではない。単なる脅迫だ。
「知らないよ……」
長男は困惑した表情でそう言うと目を逸らした。
「ねえ、あなた。カメラが動いているのでしょう。きっと、それに何か映っているわよ」
「はぁ……、そうだな。かっかしても仕方ねえな……」
職人は落胆しながらも、朝の準備へと取り掛かった。

 ディレクターは焦った。ここで喜びの声の一つでも上げようものならお話はご破算。だが、これは彼にとっては都合のいい展開であった。
「と、とりあえず、映像を一緒に確認しましょう。もしかしたら、猫が入ったのかもしれませんし」
作り笑顔で職人の気分をごまかしながら、てきぱきとモニターを用意し映像確認の準備を急ぐ。
「えーと、これで映るはずだ……、っと」
モニターに映像が映し出される。職人と妻はそれを操作しているディレクターの後ろから覗き込んだ。

「な、なんだ、これは……、一体……」
 職人が驚きの声を上げる。彼の妻は絶句して言葉も発せられない様子だ。ディレクターも驚き、映像機器を操作するだけの機械となってしまっている。
 それもそのはずである。固定カメラの目の前でピシリと何の前触れもなく茶碗に亀裂が入り広がっていく。そのまま修理したところを切り取るようにバリバリとその部分が欠けていく。そして、今朝の欠けた茶碗の状態へとものの数分で変わっていった。

「や、やっぱり呪いの茶碗だったんだ!」
ADが驚きの声を漏らす。
「ふざけるな、いいか、これはきっと接着が甘くて湿度か何かの関係で割れたに違えねえ」
冷静な判断を行う職人だが、ひたいを伝う脂汗は隠しきれていなかった。
「とにかく直すぞ。 仕事だからな」
職人は冷静にそう言って、いつものように準備を行い工房へと向かった。スタッフもついていき、一瞬を逃すまいとしてカメラとマイクを持って彼の後についていった。職人の機嫌は悪そうだったが、昨日のような怒声は彼らには浴びせられなかった。

工房の中は緊張感に包まれている。それもそのはず、焦りが見える職人の迫力に誰も何も言えなくなってしまっていたからだ。
「おかしい……、明らかに間違いが無ェ……、なのに、どうしてだ……」
温度計をにらみながら慎重に作業を進めていく。湿度計に目をやっても、異常は見られない。
「とりあえずは、これで……」
職人は昨日のような洗練された手つきで修理を終えた。何の問題もない。 つまりはこれが
”呪いの茶碗”であると自分が認めてしまう形になってしまう。信じられないが、自分はこの中で茶碗のことは一番よく知っている。冷たい汗が背中をつたった。

 翌日、同じように欠けていた。カメラを確認しても先日と同じようにひとりでに茶碗がボロボロと欠けていく。その翌日も、また次の日も。ADは震え始め、カメラマンはこの取材をやめることを打診し始めた。しかし、金がかかっている以上はここで引くことは許されない。職人が引く、という意思表示をしなければテレビ側も引けないのだ。結果として撮影は続行されたが、工房に入ることはなくなり倉庫で茶碗が欠けていく様子をただ監視するだけになった。

 「ご家族との団らんのシーンを撮りたいのですが……」
現場の責任者であったディレクターはここ数日荒れていた職人に対して気分転換にいかがですか、という体で話しかけた。職人はずっと家族に当たり続け、夕食の時間には妻子を怒鳴り、些細なことでイライラして子どもを泣かしていた。妻が宥めるのも聞かず、ただひたすらに俺の気持ちが分かるか、と酒を飲み暴れまわっていた。このままでは家庭内暴力に発展しかねなかった。
「そうだなぁ……」
職人自身もそうであることは自覚していた。精神鍛錬も修行の一環として行っていた職人にとってこの状況が惨めであることはとっくの昔に分かっていた。
「とりあえず、今日は外食にするか。 そういえばおもちゃ屋とかにも連れて行った記憶がここ最近ねえし……」
職人はそういうと妻を呼び、事情を話した。妻は快諾し、子どもたちに伝えた。子どもたちは信じられないという目をしていたし、父親を露骨に怖がっていた。職人が今日は怒鳴らない、約束だと言うまでは子どもたちは安心することはなかった。

 「さあ、なんでも食え!!」
職人はメニューを子どもたちの目の前に広げた。ファミリーレストランに来るのは数年ぶりだろうか。ここ最近、仕事に打ち込み過ぎて店屋物はしばらく食べていない。様変わりしたメニューは職人をわくわくさせた。
「こ、この中からチーズがとろけるハンバーグをお、お願いします!」
慣れない外食で、最近使っていなかった敬語を使い注文をする。職人にとっては新鮮なことだらけだった。妻も子どもたちも普段は食べられないような食事を目いっぱい楽しんだ。職人はたまにはこういうところに来るのもいいのかもしれないと思った。

 芸のためなら女も泣かす、子も泣かす。自分の父はそういう人間だった。タバコと酒で体をやって50代後半で亡くなった。そんな父が好きでも嫌いでもなかったが、職人として作り上げる物は好きだった。ひびの入った茶碗が治っていくその様は少年だった彼をこの道へと導いてきたのだ。
それからは一心不乱にその指が創る物で頂点を目指し、目指し、目指し、そして、ようやく頂が見えていた。そんな気がしていた。でも、呪いの茶碗で今、すべてが壊れた。
 そこでようやく今は自分の父が生きていた時代と違い、自分は父親とは違う人間であったことを思い知った。

 ならば、父親とは違うことをしてやろう。とことんやってやろう。
 遊園地に行こう。行った。ジェットコースターで大はしゃぎして、お化け屋敷では子どもたちよりも震えた。コーヒーカップなんて初めてだ。はしゃぎすぎて妻に怒られた。買い食いをして、日が暮れるまで子どもと遊んで……、翌日は疲れて寝過ごした。
 日帰り旅行に行った。観光地では新品のデジタルカメラで何枚も写真を撮った。子供たちと妻の写真を何枚も取った。土産を買って、食べて、子どもと笑いあって一日が過ぎた。

 一家団欒の日々が増えた。スタッフとも談笑した。デジタルカメラの機能を教えてもらって大はしゃぎする様子をカメラに撮られた。ピースをして子どもを抱きかかえて映った。今までのお礼というわけではないが、出前をとってスタッフをもてなした。
 そして、ようやく茶碗がどうやって使われているかを知った。別に飾られているわけではなく、人が持って、ようやく茶碗として機能していた。そして、食卓の中で茶碗は雰囲気に調和していたのだ。
 彼はようやく、茶碗の使い方を知った。

 そして、久しぶりに欠け茶碗の修理に取りかかった。いつも通りなのに、楽しい。苦しくない。絞るように息をして、投げ捨てるように体を動かしていたころとは違う。茶碗を直すことに対して、向き合えている。いや、この茶碗が使われることを意識し始めていた。少しずつ、何の為に自分がいるかということが理解できているような気がした。

 その翌日、茶碗は欠けてはいたが少し元の姿を保っていた。
「まいったなぁ、今日は野球の予定だったのに……」
「いいんじゃないんですか、お子さんとやってきても大丈夫ですよ。 こちらも適宜編集でごまかしますんで」
「悪いね、こりゃあ明日は打ち上げの飲み会だ」
笑いあった。本当に人と笑いあったのはいつぶりだろうか…… ずいぶん昔のような気がした。自分が少しずつ成長しているような気分になる。 子どもと野球をするためにボールを探す。金属バットを持った子どもが自分をせかす。いつの間にか大きくなった我が子の成長を目で見ると、今まで失ったものの大きさを知った。

 呪いの茶碗がどんどん欠けなくなっていく。手を取り合い喜びながら、なぜこうなったかを考察するスタッフがいた。職人は分かっていた。いや、職人は茶碗から教えてもらっていた。
「俺さ、ようやく茶碗と会話が出来るようになったんだ。いや、例えだぜ、本当に会話してるわけじゃねぇ。触って直して、それで語りかけてくるんだよ。こう、自分がどういう物であるかをさ」
「一体、なぜなんでしょうか!?」
「簡単さ、他でもない俺がその茶碗の様に欠けていたのさ。職人として凝り固まって、あぐらかいて暴れて、迷惑かけて、俺は自分に甘すぎた。だから、欠けていたのさ。その人間性というか、思いやりとかそういう部分にな。だから、この茶碗は茶碗、いや焼き物が一体どういう物なのかを職人に教えるために作られた、まあ、言うなれば戒めの茶碗ってやつだな」
「なるほど……」
ディレクターはうなづく。おそらく、自分が持って帰ったらまた欠けてしまうだろう。先週は息子の運動会だったのに、こちらの仕事を優先してしまったからだ。
「作る、だけではダメなんですねぇ」
「まあ、そういうこったなぁ。料理だって作る人の愛情で旨くなるっていうじゃねぇか。俺も使ってくれる人のことをさ、考えて作ってなかった。俺さえ良ければ、俺の満足で作っていた。そういうのはやっぱり、茶碗に怒られねえと直らなかったんだろうなぁ」
「ははは、自分も心当たりがあるので気を付けることにしますよ」
「やれやれ、こんな茶碗を持っているもの好きに会ってみたいモンだねぇ」
「多分、渡したら翌日すごい欠けてるんじゃないですか」
「違えねぇや」
2人は笑い合うと、そのまま撮影のスケジュールの話し合いを始めた。

 その翌月、VTRと考察を見た二流先生は面白がって礼を言って茶碗を受け取った。自分の著書を一緒に来た職人に渡し、注意深く欠けていた茶碗の話をメモしていた。おそらく次回作のネタにでもするのであろう。職人は苦笑いしていた。ディレクターもだ。おそらく茶碗が欠けるのが分かっていたからであろう。こうして、茶碗に関する騒動は一通り落着した。

 後日の倉庫ではこんな会話が繰り広げられていた。
「先生、先生、この茶碗、写真より欠けてませんか」
「そんなわけないだろう」
「だって、ここほら……」
「君、私はそんなに人間として失格した人物かね!!」
「まあ、割と……」

「なんてことを言うんだ!!」
そんな言い合いをしながらも、二流先生は茶碗の欠けた部分に愛おしさを感じていた。
(人間、どこか欠けていないと愛嬌も何もないからね)
そっと、茶碗を手に取って欠けた部分をまじまじと見つめ先生は悦に入り、いつも通り村上君を呆れさせた。
 作家というものは偉大になるほど人間ではなくなっていくものだよ。小説の師匠が言っていた言葉がずっと二流先生の頭の中で響いていた。

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