手業の大切さ

 大阪船場の問屋街に南久宝寺町と堺筋の交差点がある。堺筋に面した東側に間口の4、5間はあるだろうか、ちっちゃな店がずっと奥まで向かい合わせに入ってるようなそういう場所があって堺筋に面した一番人通りのあるところに1人の女性が座っている。机の上にピース缶の底を抜いた筒状の所にストッキングをかぶせて特殊な針でストッキングの穴や伝線を修理している店があった。

 昭和20年代中頃から30年代はじめまでだったと思う。今では考えられないけど、ストッキングはなかなか高価なものでそれを修理して履くというのが習慣になっていた。絹や、当時出したナイロン糸のストッキングは、今と違って後ろにつなぎ目があって、それが踵から太ももまで一本の線になって見える。女性はその線がまっすぐになるよう気を使って履いていた。

 少しの油断でストッキングは何かに引っかかって、いわゆる伝線といってひっかかった所からスーッと一直線に破れてゆくのだ。今ならすぐにコンビニに行き、適当なものを買い求めて履き替えればいいのだが、当時はそうはゆかなかった。高価であり、またそんなにどこにでも売っているようなものではなかった。当時、靴下には繕った跡があってそれを当然のように履いていたのだ、繕い跡が足に少し違和感を与えたが、それも慣れてくるとそんなに気にもならなかった。ストッキングは特別な方法でその伝線を繕っていたのだ。どんな方法でやっていたのかはよく見ていなかったのでわからない。多分漁網を繕うような方法で細い針を使ってやっていたのだろう。

 終戦後10年ぐらいの時代は、今では考えられないような技術があって、それをみんなが使っていたのだ。

 使い捨ての時代にあってそのような手仕事はほとんど日の目を見なくなってしまったが、人の手仕事の歴史はそうたやすくなくなるとは思えない。人の手業こそ人類の歴史を支えてきたと思うのだが。

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