2021年11月8日/モデル・演者、オオハラさんとのルック撮影記録 【153枚】
表現者がその表現をする時、「したい」と同時に「そうでなきゃダメな理由」が必ずあって、それは表に見えてる表現の形とは真逆な場合が多い。
愛が足りないから恋愛小説を、まっすぐ人を見つめられないからカメラを、感情を出せないから演技を、本当の自分を見て欲しいから装い(ファッション)を、やっていたりする。
両極端なもの、矛盾が、一人の人の中、一つの表現の中に同棲してること。その2つが大きく、距離が広ければ広いほど、出来上がる表現の器と強度が強くなる。「作りたいから作ってる」じゃなく「これしかできない・こうなってしまう」もの、執念や癖に近いもの。
11月、はじめましてだったオオハラさんは、モデルだと思っていたけれど、演劇もやっていて、熊本と東京を2拠点にした別の本業もあって、話をすればするほど色んな側面がある人だった。だから、上辺だけを写すことが、少しもったいないなと思った。
今回の撮影は「どうして僕らはこの表現をするのか」を根っこまで掘り下げ合うことからはじまった。東急百貨店裏のスタバのオープン席にて「踏み込むことも踏み込まれることもこわい」という彼女と、どうしてそうなったか、僕はどうしてこうなったかと、互いに過去をさかのぼる中で、少しずつ壁が取り払われていった気がする。
ある時代までさかのぼったところで、彼女は泣きながら話すようになって、その時の表情、「意識的な表情や笑顔が取り払われた姿」が、一番綺麗に見えた。それを撮ってもいいですかと聞いて、大丈夫ですと許可をもらうところから、撮影はスタートした。
ブランド続けて6年。服作りだけじゃなく、撮影もずっと基本自分一人で行ってた。近頃やっと、撮ることについてもよく考えるようになった。良い写真、nisaiで撮ってルックとして発信したかった写真は、その人の「幅」が写ってる写真だ。日常と演出。綺麗と汚い。洗練と未熟。よこしまさと無垢。
一言でいえば「らしさ」だけど、らしさとは何か、解像度を上げないといけない、先にピントを合わせられるかどうかだ。いつでも撮れるものじゃないし、近づきすぎない方がいい場合もある。偶然や気分に頼る部分もあるし、両面じゃなく片面だけを見つめた方がいいときもある。
でも、これだって納得できる写真、瞬間、nisaiに合うなって思う絵は、僕にとっては、その人の「幅ごと」が写せた姿だ。11月8日、いい日だった記憶がある。夜はいつもよりはやくに眠った記憶がある。新宿マルイ本館にて、新作コレクション展示販売中。
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